税金・保険コラム

2013.10.02

生命保険の歴史 その8

日本では世帯の9割以上が加入済みだと言われているほど普及している生命保険ですが、その概念が日本に入ってきたのは遠く明治時代です。

鎖国時代に徳川幕府の役人だった福沢諭吉は、勤務の一環としてアメリカとヨーロッパに都合3回渡海し、海外の珍しい文物を見聞きする機会に恵まれました。福沢諭吉は、英語が堪能であっただけでなく、筆が立ち、国民を書物の力で教育すべく、何冊も本を著しました。その中の1冊に生命保険が紹介されていたのです。

生命保険は、契約者一人一人は少額しか拠出できなくても、大勢が集まればお互いを守ることが出来る仕組みになっています。新聞に掲載されている写真が、実は一つ一つの小さな点で構成されていることに似ています。
別の見方をすれば、若くて健康な働き盛りの頃に保険料を支払い、万一の事故や病気などにより一家の稼ぎ手が働けなくなったときに、残された家族の生活を守るものです。これは時間軸を元にした捉え方で、イソップ寓話の「アリとキリギリス」のたとえ話が分かりやすく説明しています。

日本に生命保険会社ができた時、勧誘用に作られた帝国生命保険株式会社のパンフレットでは、学資保険や死亡保険に加入していた家族と加入しなかった家族とが対比的に描かれています。その内容は、生命保険に加入していた家族は、一家の主が亡くなっても、子供は学業を無事終了し、その子は将来立身出世することができたが、加入しなかった家族は悲惨な末路を迎えるという物語仕立てになっています。

このパンフレットの内容に特に心を揺さぶられたのは、都市に住む俸給生活者だったと思われます。田舎に住んでいて、ある程度の田畑があれば主が亡くなっても最低限食べていける農家とは異なり、俸給生活者すなわちサラリーマン家庭では、そうはいかないからです。

サラリーマン家庭と言いましたが、サラリーマン本人よりもその妻にとって身にしみる内容であったと考えられます。なぜなら、当時女性が働ける場はもちろん、手に職を持った女性も少なく、その上子ども達が経済的な援助ができる年齢に達していない場合は、生活する術がないからです。しかし、稼ぎ手である夫は、おそらく自分の体力と労働力が長期間に渡って安定していると過信し、生命保険に加入する必要性を感じることがないのでしょう。このような夫婦による生命保険に対する考え方の違いは、洋の東西を問わないようです。

イギリスで埋葬保険が普及し始めたのは明治維新(1868年)より早い、1840年代以降のことです。埋葬保険というのは、埋葬費をまかなう程度の少額の保険金を対象とし、保険料を毎週支払います。主に労働者階級の間で広まりました。

埋葬保険は、俸給生活者を加入対象とした生命保険とは全く異なるため、特に労働者向け生命保険と呼ばれ、普通生命保険とは別種の保険であると考えられていました。

ところで、生命保険の保険料は、保険金そのものに当てられる「純保険料」と事務手続などの保険会社を維持するための「付加保険料」から成り立っています。この勤労者向け生命保険は、特に友愛組合などが主催するものは付加保険料が高く、社会問題視されていました。ただ、毎週保険料を集金人が加入者の家まで徴収してくれるのですから、ある程度高額になるのはやむを得ないという事情もあるのですが。

当時イギリスで4度首相を勤めた自由主義的活動で著名な政治家グラッドストーンは、その解決策として、郵便局が販売する簡易保険を導入させました。しかし、肝心の労働者は簡易保険に乗り換えませんでした。

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経済合理的に考えれば、同じ内容の保障を得られるならば保険料の負担は安い方が良いはずです。しかし、当時保険料を集金人に払っていた労働者階級の妻達は、そうではない選択をしました。なぜならば、たとえ保険料が割高だとしても、妻達のへそくりで賄える範囲の少額であり、しかも、自分が支払いに行くのではなく、集金人が毎週自宅まで徴収に来たというメリットの方が大きかったようです。

当時の労働者の生活は不安定だったので、その中で毎週確実に払い続けるのは、確固たる意志の元にやりくりを続けられるしっかり者でなければできません。
また、週払いではなく月払いだと、へそくりが夫に見つかり、飲み代に化けてしまうおそれもあります。飲み代になるくらいなら、保険料にした方がマシなのです。

そもそも埋葬保険が普及した背景には、身分不相応な葬儀への執着があったと考えられます。その奥にはみすぼらしい葬儀をしたくないという見栄があったでしょうし、現実に葬儀の時ですら費用が捻出できない貧窮した家族とは、ご近所も距離を置くでしょう。

普段の生活が大変厳しい中で、夫の葬儀の時の参列者への振る舞いは惜しみたくないという感覚が、1848年に出版された小説『メアリー・バートン』に書かれています。また、少し時代は下りますが、1866年に連載された『罪と罰』の中でも、葬儀代を他人に援助してもらうシーンがあります。

心理的に見れば、現代の葬儀は、表向きは亡くなった夫を顕彰するためだとしても、実際は、生きていく遺族の心の整理のためにある部分が大きいでしょう。それなのに身分不相応な立派な葬儀を望むのは、残された妻が「もっとああしてあげればよかった」という後悔の念に駆られるからかもしれません。

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また、ある女性作家の、対談記事の中で、その作家の御尊父が健在でサラリーマンとして高い地位にあったときは降るように届いたお中元やお歳暮が、御尊父が亡くなったとたん、ぴたりと届かなくなったと打ち明けていました。彼女は「母子家庭になって母は苦労していたのだから、その時にこそ欲しかったのだけれどね」と語ったそうです。

19世紀のイギリス労働者社会では、貧弱な葬儀をあげて、世間に敬遠されることでますます援助の手が得られなくなるという事情があったと考えられます。

ひるがえって、『サザエさん』で有名な長谷川町子の自伝的作品『サザエさん打ち明け話』の中にも、「奥さん、お子さんだったものが寡婦(やもめ)、父無し子(ててなしご)と呼び名も変わり…」という場面があります。

埋葬保険は形を変えて現代にも生き残っています。テレビでよく耳にする「高齢になっても入れる」生命保険のコマーシャルでは、俳優が「せめてお葬式代くらいは…」という台詞を口にします。

生命保険という切口からも、人間の変わらぬ感情、社会を読み取ることが出来ると言えるでしょう。

社会保険労務士
小野 路子
さいたま総合研究所人事研究会 所属
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