税金・保険コラム

2013.07.10

生命保険の歴史 その7

17世紀の大英帝国では、年齢別の死亡率を調査した死亡表が研究・発表され、18世紀初頭にはアミカブル・ソサエティという世界初の生命保険会社が発足しました。しかし、保険料と保険金とのバランスが数学的にきちんと計算され、組織が安定して運営できるようになるまで、いくつもの組織がチャレンジしては失敗してきました。

それだけ「生命保険」というものが、人々に必要とされ、また商品としての価値が高いと考えられていたのでしょう。大勢の人が求めている、すなわち市場というものが無ければ生命保険に限らず、商売は成り立ちません。生命保険の成り立ちは助け合いでしたが、何十年にもわたる活動が必要であること、運営するには人手がかかること、加入者が増えれば増えるほど取り扱う金額も大きくなり、担当者の責任も重くなること等の要因から、組織化され、やがてはそれがひとつの企業となりました。(1900年=明治33年に保険業法が出来るまで、生命保険は株式会社や合資会社などの企業が扱っていました。)

ところで、あるところでは価値の無いものや迷惑なものでも、別のところでは必要なものであることはよくあることですね。

牡蛎の中身を取り出すために殻を開ける漁業関係者にとって、殻は無価値にもかかわらず産業廃棄物なので処分費用がかかる厄介者です。しかし、別の生産設備を有し、殻の性質を必要とする分野の企業にとっては、肥料に加工したり、汚水の浄水化や軟弱地盤の改良に利用するなど殻を有効活用することができます。

趣味のコレクションの世界では、子どもが遊ばなくなった不要なブリキのおもちゃを立派なコレクションとして確立させた横浜のブリキのおもちゃ博物館や、文豪の手書き原稿を収集している博物館なども各地に存在しています。

作家の推敲の跡をたどることができる手書き原稿は、文学の研究者にとって大変価値があるといえます。手書き原稿ではなく大量に印刷された文書などでも、また別の分野の歴史研究者にとっては一次資料となり得ます。例えば古い官報や白書、新聞、チラシなどが挙げられますが、それを資料として研究している人がいることを知らない人にとっては、ただの風呂の焚きつけに過ぎません。

また、研究者でなくても、書籍そのものに価値を見い出すコレクターも大勢います。こういった人達は、初版本であったり、著者の署名入りであったり、1巻たりとも欠けのない全集であることに価値を覚えます。本のコレクターには強烈な情熱を持つ人が多く、読書や書物の収集に没頭している人を表す「書痴」という言葉があるくらいです。しかし、本の内容にしか興味の無い人にとっては、ただの古本に過ぎません。

研究資料という実利面から古本に価値を見い出すのは、別分野の人にとっても分かりやすいものですが、売買の対象としてではなく稀覯本(きこうぼん=入手しにくい珍しい本)を集める人には、本に対する愛が根底にあります。集める対象は本だけでなく、人によって、古銭なのか、高級外車、籐で編まれた籠、リボン、カードゲームのカードなど様々で、そこにその人の個性が表れます。

もちろん、何事にも必ず時代背景という制約がありますので、ブーメランの存在を知らなかった江戸時代の日本人が、様々なデザインや施された意匠や大きさ別にブーメランを集めたいとは思わなかったでしょう。しかし、同じく江戸時代の裕福な町民の女性が精緻な蒔絵細工を施した美しい櫛を集めることと、現代社会の女性に企業が提供する香水の瓶が、牛乳瓶のミニチュア版ではなく、凝った美しいデザインをしていることには通底するものがあります。

ちなみに、太平の世が長く続いた江戸時代には、武士も武士なりの美を追求するようになり、刀の鍔(つば=刃が柄から抜けないように止めている丸い金具)のコレクションが流行ったことがあるそうです。

さて、誰かが何かを求め、それを提供するものが大勢の人間を巻き込み、組織に育つ場合は、「誰か」は大勢なので、「何か」は時代の雰囲気を教えてくれます。

明治時代、福沢諭吉が『西洋旅案内』を上梓して、「生涯請負」「火災請負」「海上請負」として日本に近代的な制度を紹介しました。現在の火災保険にあたる「火災請負」、海上保険にあたる「海上請負」はおそらく当時の人々にもすぐに理解されたと考えられます。江戸時代、火事とけんかは江戸の華と呼ばれたほど、江戸は火事の多い町でした。また、年貢米を換金するために、大名達には大量輸送が可能な廻船網が必要だったため、日本の沿岸は種々の航路で結ばれていました。海上運送業者である廻船問屋が開いた航路は、米はもちろん、様々な地方の産物を乗せた輸送船が行き交っていたのです。

それに対して、生命保険は当時の人々にはその内容をなかなか理解されなかったのではないかと思います。「life insualance」を「生涯請負」と福沢諭吉は訳しましたが、当時の生命保険会社には「いくら払えば寿命を延ばしてもらえるのか?」という問い合わせがあったといわれています。

これは、誰が誰に対して何を請け負うのかということが、「生涯請負」という短い言葉では表現しきれなかったということ以前に、当時はまだ、そのような概念が無かったからではないかと思われます。

ちなみに、日本の近代郵便制度の創始者の一人である前島密が大英帝国に倣って郵便制度を敷いたとき、木製の郵便ポストが町のあちこちに立てられました。ところが当時の日本国民にとって「郵便」は耳なれない言葉であったため、設置された「郵便箱」を「垂便箱(たれべんばこ=トイレ)」と読み間違えて、「位置が高すぎて使えない」などという苦情があったそうです。

郵便制度は似たものが律令時代からありましたし、江戸時代は公儀の継ぎ飛脚(つぎびきゃく)、大名が使う大名飛脚、大名も武家も町民も使う町飛脚が存在し、統一されていませんでしたが、書状を運ぶ飛脚という制度はありました。それでも、名前の付け方に難があったせいか、間違った解釈をされる隙があったわけです。

「時代の空気」という言い方がありますが、それは、その時代の人が、自分の感覚は当代の一般的なもの、多数派の感覚であると思っている内容だと考えられます。その「一般的な感覚」を基準にして、私達はテレビ番組や新聞や雑誌などの記事を目にすると、「なるほど、その通りだ」と共感したり、「なんて勘違いをしているんだ」と批判したり、「そんなはずはない、恣意的に誘導しようとしているのではないか」と疑ったりします。

たとえば、観察されるたびに報道される、カルガモ親子の皇居への引っ越しは(東京・大手町という大都会の真ん中にある三井物産本社敷地内の人工池で卵を孵化させるカルガモが、雛を連れて道路を横断し、皇居のお堀へ移動する)、もし舞台が自然豊かな地域であれば全く報道されることはないでしょう。

つまり、大手町が大都会であるからこそ、この話題が珍しいことして取り上げられていること、また、明るく楽しい話題として取り上げられていることが、現代の私達には理解出来ます。

他の例として、数年前にある動物園のアライグマが2本脚で起ち上がる姿が報道されました。アライグマが直立することが一般的には知られていなかったことと、起ち上がった時の手脚の長さの釣り合いが、まるで人間が立っているかのように見えるという意外性の2つの要因が重なって、報道する価値があると判断されたのでしょう。また、熱帯の外来種の毒グモが日本国内で越冬し、バス停のベンチの裏などの身近な場所に潜んでいるという内容が報道されたこともありました。当時この2つの報道に接した人々は、前者は楽しい話題として肯定的に受け止め、後者は、注意喚起として否定的に報道されたことを理解したはずです。

なぜ理解出来るかといえば、私達は毎日大量の生の情報に接しているので、それらとマスメディアによる報道を比較することが出来るからです。しかし、時間が経過すると、その時代に生きた人が体験していた大量の情報を現代の私達が同じように感じ取ることは困難です。残されている資料の量の方が、当時身近にあった実際の情報よりもはるかに少ないからです。そのため限られた資料を、あらゆる方向から読み取る努力が必要になります。

研究者が収集した明治時代の生命保険の広告の中に、「帝国生命保険株式会社被保人募集広告」というものがあります。そこには、体が弱く稼ぎが少ないので家族の将来を案じ、生命保険に加入した亀吉と、体が丈夫なことをいいことに、いつでも稼げると芸者遊びに散在する虎造の人生が絵巻物のように描かれています。

結論はお察しの通り、保険に加入していた亀吉家族は成功し、保険に加入せず放蕩を続けた虎造家族が転落します。亀吉はそんな虎造を気の毒と口では言いながら、突き放します。まさに、イソップ寓話の「アリとキリギリス」の内容そのままです。最後は残された虎造の娘が泣き叫び、幸福と一家の繁栄を手にした亀吉は子孫万歳、商売繁盛といった言葉で描かれて物語は閉じられています。

また、仏教生命保険株式会社のパンフレットには、学資保険、婚資保険、死亡保険、尋常終身保険と色々な保険が登場しています。やはり2家族が取り上げられ、保険に加入していた家族の息子は費用の心配なく学業を終了することができ、経済的にも成功を収めます。もう一方の息子は、前者の息子が乗る人力車を引く俥夫(=しゃふ)に成り下がります。まさに、駕籠(=かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人を地で行くようなストーリーが絵物語風に表現されています。

これらのパンフレットが実際に使われたということは、少なくともパンフレットの制作者はこの内容が保険商品を売るのに効果がある、説得力があると考えていたわけです。若くて稼げる頃にせっせと働き、少しずつでも貯金したり保険料にあてることで老後に備えるというのは、現代の私達には当たり前の考え方に思われます。研究者によると、井原西鶴の『日本永代蔵』に記されている内容から、元禄時代には既に、若い頃に身を粉にして働き、老いの楽しみを早く知るのがよいという考え方があったであろうと言われています。

江戸っ子には「宵越しの銭は持たない」という金銭に執着しない気風がありましたが、元禄時代の上方の都市には勤勉・倹約といった勤労倫理があったそうです。だからこそ、これらのパンフレットが明治時代の庶民の心を打ったのだと考えられています。

筆者の考え方は少し違います。『日本永代蔵』は日本初の経済小説とも言われ、30ほどの短編小説で、創意工夫を凝らし経済的成功を成し遂げた者、失敗した者が描かれています。現代まで現物が残ったということは、それだけ当時広く人々に読まれたということです。現代でも、『××のすすめ』『あなたも○○すれば××できる』といった、成功本、自己啓発本はたくさん種類があり、それぞれよく売れています。そして、インターネット通販アマゾンには、この種の本に対する素人書評家の「××という本の焼き直しに過ぎない」などの少々辛口なレビューが溢れています。面白いことに、「著者の主張通りに実行してみたが効果が無かった」というレビューは寡聞にしてほとんど知りません。

つまり、次々に新しい本を読むけれど実行しない、あるいは実行しないからこそ次の本に飛びつくという現象が起きているのではないでしょうか。簡単に言ってしまえば、「わかっちゃいるけどやめられない」のです。悪癖を克服することは難しく、代わりに良い習慣を身につけることも難しい。だから、自己啓発本に限らず、特にダイエットを扱う本は次から次へと出版され、一定の読者を得られるのです。

江戸時代は現代と比べると政治制度はもちろん、社会のインフラや価値観、人の命に対する考え方も大きく異なり、個人の人生よりもその所属団体、オイエ(お家)やオタナ(お店)や主君に価値を置く社会でした。しかし、人間の本質はそう変わらないものだと思います。『日本永代蔵』は平凡な町民には出来ない創意工夫、勤勉、やる気が描かれていたからこそ、当時の人々の間で広く読まれたのではないかというのが筆者の考えです。

すなわち、たいていの人は宵越しの銭(=金)は持たなかった。むしろ、普通の町民は、貧しすぎて貯金する余裕すらなかったというのが実情だったのではないでしょうか。『日本永代蔵』についても、当時、本というものは買うよりも貸本屋から借りる方が一般的でした。(もちろん、活字を組んだのではなく、文字を一繋がりにして版木に彫る木版印刷なので、大量に作りにくかったという事情もありますが。)普通の町民には倹約して貯金する価値を見い出せなかったのではないかと思います。

それゆえに、アリとキリギリス風のパンフレットを作って庶民を啓発したのでしょう。現代の生命保険の販売方法にも啓発という点では似たところがありますが、通底するものは江戸時代と同じ、将来に対する「不安」なのではないでしょうか。

生命保険が事業として成り立ってきたのは、人の抱える不安を解消したいという願いに対して、組織的なもの(永続的なもの)が安心感を提供してきたからです。何かをコレクションする人の動機にはその物への愛がありますが、生命保険を必要とする人の不安の根底には、家族への愛があります。家族を愛していなければ、自分亡き後、自分以外の人間が保険金を受け取るという生命保険に保険料をかけ続けることはできないでしょう。

社会保険労務士
小野 路子
さいたま総合研究所人事研究会 所属
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