税金・保険コラム

2013.04.17

生命保険の歴史 その6

大英帝国で産声を上げた生命保険が我が国に伝わったのは、江戸が東京と名乗りを変えた明治時代でした。この頃、現在では1万円札の肖像画で復活を果たした福沢諭吉が、大政奉還前の2度の渡米に1度の渡欧という希有な経験と得意の英語力を活かし、何冊も本を出版しました。彼は何回もベストセラー本を出していますが、そのうちの1冊、『西洋旅案内』で生命保険の概要を紹介しました。

『西洋旅案内』は、当時のことですから観光旅行案内書ではなく、商用のために渡航する人のために書かれた実用書でした。そのため、積み荷受取状や商用船買い入れの話と並んで、欠かせないものと彼は考えたのでしょう、「生涯請負」「火災請負」「海上請負」を紹介しています。それぞれ、生命保険、火災保険、海上保険のことです。

商取引が、特に自分たちにとってとても稀少価値のある高価な品々を、海を隔てた遠くの国々から取り寄せるものである時、海上保険は欠かせないものとなります。生命保険の歴史をたどる時、古代ローマ帝国時代に発生したものは遺族の生活を守るためのものでした。次に現れたのが、商人が船荷にかけた海上保険でした。

陸路を行くより船で海路を行った方が、より大量の物品を運ぶことが出来ます。貿易商人は、海なのに山っ気があるというとおかしい気がしますが、冒険野郎という性格を持っていました。船が沈没してしまえば全財産を失うという危険を引き受けた上での大勝負にでていたため、海上保険の発明は必至でした。

海上保険は、もともとは、冒険貸借取引と呼ばれていました。海洋貿易で一儲けしようという商人は、自分1人では資金を賄えず、まず金融業者等から借金をしました。船が途中で嵐にあって沈没もせず、乗員の反乱も起きず、世界一周で有名なポルトガルのマゼランのように途中で殺されてしまうようなこともなく、無事目的地に荷物を満載して到着して初めて、借りたお金に利息を付けて返すことが出来ました。逆に、船が無事に航海を終えることが出来なかった場合は、元本も利息も返す必要が無いという取引が冒険貸借取引というものでした。

船と船荷という担保を差し出して借金をする契約と、その担保に保険をかけるという契約とがひとつになったようなものです。お金を貸す側は、この海洋冒険が成功したあかつきには、貸した資金に利息が付いて戻ってくるという銀行家の顔と、失敗した場合は利息収入を諦めた上に借金を帳消しにしてやるという、船と船荷を対象とした保険会社のような顔とを兼ね備えていたことになります。

現代の保険会社ならば先に保険料を徴収するのですが、この取引では冒険商人の方はお金を出していません。おそらく保険料こみとして大変高い利息を課すことで、お金を貸す側はバランスをとったのでしょう。航海の危険度、無事に目的地に到着する可能性は何割程度かを見積もって、利息の金額を決めたことでしょう。

この取引が、保障対象が船そのものからその積み荷、船長、船員、乗客へと広がり、生命保険に似たものになったと言われています。

シェークスピアの戯曲『ベニスの商人』は、執筆当時喜劇として書かれました。商取引と大岡裁判に恋愛話がまざったものという捉え方です。ユダヤ人の金貸しシャイロックが、いつも自分を目の敵にしていた貿易商アントニオに借金を申し込まれた時、借金が返せなかったら利息の代わりに肉1ポンドをよこせという契約を結ぶシーンが非常に有名です。そして、アントニオの船が嵐で沈没してしまい、借金が返せないことが決定的になったとき、物語は一気に緊張が高まります。

しかし、この物語には奇妙な点が見られます。シェークスピアは経歴のよく分からない人物で、その作品も1人で書いたのではないだろうという意見もある人なのですが、一応彼の生年と没年は1564年と1616年と言われています。ちなみに、これは大変覚えやすい年号です。「人殺し、いろいろ」という語呂合わせが彼の戯曲作品にはぴったりだからです。

話を元に戻すと、シェークスピアの生きた時代には、『ベニスの商人』の舞台となったベニスでは、既に冒険貸借取引が盛んに行われていたはずなのです。すると、借金が返せなかったら胸の肉1ポンドという契約は成立せず、物語は緊迫感を失います。シェークスピアが遠いイタリアの事情を知らなかったのか、たとえシェークスピア自身は知っていても、舞台を見るイギリスの民衆が知らなかったとしたら「えい、かまうものか、どうせお芝居なのだから」と考えて、戯曲のドラマ性を優先させたのだとも考えられます。

筆者はもうひとつの可能性を上げたいと思います。それは、「時代劇」という枠組みです。 日本でも、江戸時代に江戸で芝居小屋が盛んだった頃、芝居は少し前のテレビのワイドショーのような性格を持っていました。江戸の街で実際に起きた事件を元にたちまち脚本が書かれ、役者たちによって上演されたのです。

たとえば、忠臣蔵で有名な松の廊下事件が起きたのは元禄14年3月(1701年)ですが、1年後に江戸は山村座でこの事件を元にした芝居が上演されています。同年12月には赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起き、事件後に大石内蔵助らが沙汰を受けて切腹したのは明けて元禄16年(1703年)の2月4日ですが、そのわずか12日後の2月16日には江戸の中村座で『曙曽我夜討(あけぼのそがのようち)』と称した芝居が上演されました。脚本家が超特急で原稿を書き、ラジオドラマではあるまいし、最低でも台詞のある人数分の脚本は必要だったでしょうから、注文を受けた職人が版木を彫って紙を刷り上げ、糸綴じ製本し、それを携えて役者が台詞を覚えながら舞台での立ち回りの練習をする、そしておそらくは同時進行で垂れ幕の文字を染め屋に出して縫製仕上げさせながら瓦版屋に宣伝させる、なにもかも手作業の時代にこれら一連の作業をわずか12日間で仕上げたわけですから、機を見るに敏と言うしかありません。

しかし、当然ながらその芝居は事実そのものを描いたわけではありません。士農工商の厳しい身分制度のある世界で、お武家様の大事件を河原者と蔑まれた役者が面白おかしく演じ、それを町民が娯楽として消費するなど、首がいくつあっても足りません。そこで、時代劇の枠組みが出てきます。つまり、つい10日ほど前にこの江戸であったあの事件ではありませんよ、これは何十年も昔の出来事なのですよという体裁をとったわけです。

平成の現代でも時代小説は書かれ、読まれ続けていますが、登場人物は設定された時代の人間ではなく、現代人のものの考え方や感じ方をします。現代を舞台にしてしまうと、登場人物の行動の選択肢が多すぎて、読者が「わたしならこうするのに」という思いを抱きやすく、作家が定めたテーマに読者の意識が集中していくことが難しくなります。また、時代劇にすれば、現実の江戸にはあった不快な事実(特に厠の臭いですね)は伏せて、作家のテーマにふさわしい作品世界を作り上げることが比較的容易になるからなのでしょう。

シェークスピアの場合は、時代ではなく場所をイギリスから遠いイタリアはベニスに定めました。同じ手法は、四世鶴屋南北が『東海道四谷怪談』で使っています。忠臣蔵事件と同じく元禄年間(1688年から1704年まで)に起きた現実の事件と言われる、江戸は四谷で起きた陰惨な事件を元にして、当時実際に起きたあれやこれや(本当に、不倫の男女を戸板に釘で打ち付けて神田川に流した事件があったといいます。)を詰め込んだとされる怪談です。

もっとも、題名には東海道が入っていますが、現実の東海道にはぴったり四谷という地名はなく、逆に芝居の中では江戸の地名が出てきます。題名だけ細工して役人の目をごまかそうとしたのかもしれません。四谷怪談は町人の物語ではなく、主な登場人物は武家だからです。自分を裏切った夫伊右衛門にすさまじい復讐を果たす主人公お岩さんも武家の娘ですが、物語の中では夜鷹(筵1枚持ち歩いて野外で売春する)となって、食い詰めた赤穂義士である父親を食べさせています。そして、やはり昼は店で働き夜は私娼窟(幕府公認の公娼が運営された吉原ではなく、未許可で吉原以外でこっそり経営されていた売春宿)で春をひさぐ妹と2人で、「ほんに義士というものは」と理想ばかり高くて生活力が無く物乞いをしている父親と、義士としての活動に専念して行方不明の妹の許婚という2人の武士のことを半分皮肉りながら愚痴をこぼしあっているのですから、幕府の癇に障らないはずはありません。

当時武家が芝居小屋などに出入りすることは禁じられていました。武家の演劇的趣味は能や狂言でなければならなかったからです。しかし、実際には、菅笠をかぶったり、手拭いでほおかぶりしたりして顔を隠して芝居小屋に通う武士も少なくなかったようです。こういう事情ですから、舞台を見て、おやおや、すっかり江戸が舞台になっているぞと気づいても、そのことを役人に訴えることはできなかったでしょう。

ところで、『東海道四谷怪談』は一昔前のジェットコースタードラマも顔色なからしめる、実は、実は、のどんでん返し続きの実に面白い物語です。長尺ですが、江戸時代の芝居とは思えない面白さです。ぜひお読みになることをお勧め致します。

と話が逸れましたが、『ベニスの商人』に話を戻しますと、そもそもなぜアントニオが、日ごろからさんざん公然と非難していたシャイロックに借金を申し込んだかなのですが、それは友情のためでした。親友のバサーニオが借金を申し込んできたところ、たまたま海洋貿易に投資していて手元不如意だったのでという理由になっています。

親友の頼みを聞くために敵に頭を下げるとは、なんだか『走れメロス』のようなにおいがします。しかし、資産の無いバサーニオがお金を必要とした理由というのは、惚れた女性ポーシャが裕福な女相続人であるため、彼女の前に出る身なりを整えたかったからなのです。つまり見栄を気にしたわけです。

『ベニスの商人』の名場面の1つに、ポーシャの婿選びの場というものがあります。ポーシャが亡父の遺言によって婿選びの条件として義務づけられている、金銀鉛の3つの箱のうち1つを婿候補に選ばせるシーンです。舌切り雀のシーンのようですが、ここで、バサーニオは一番質素な鉛の箱を選びます。「外観は中身を裏切る。いつの世も人は虚飾に欺かれる」と名台詞を吐きながら。直前に実際とった行動と金持ちで美貌のポーシャの前での理屈が異なっているわけです。

シェークスピアの作品では、1つの物語の中で主人公と同じ状況にある人間が何組も登場し、性格や置かれた立場によってそれぞれ異なる行動をとります。この重層的構造ゆえに、人間というものの多面性を1つの芝居で描くことに成功しているわけです。また同時に、登場人物は物語を進行させるためだけの書き込みの薄い単なる役なのではなく、多彩な面をもつ人間として描かれます。そして誰も完璧ではありません。

それはシェークスピア自身も同じで、時代の枠組みもしくは商業演劇としての縛りから逃れることは出来ず、アントニオも高潔なはずのポーシャも現代人の目から見れば人種偏見のそしりを免れません。現代において『ベニスの商人』が上演されにくくなっている理由です。ただし、シェークスピアは、何もかも失ったユダヤ人シャイロックにキリスト教徒の欺瞞について反論させています。客観的にものを見る目を持った人だったに違いありません。

話を戻すと、いかに人種偏見に凝り固まっている時代背景があるとは言え、現代の商人の感覚で考えれば、商売人であるアントニオが、いつ自分が援助を求めなければならなくなるかもしれないのに、金貸しを公然と罵るのは愚かしいと言うべきでしょう。

こうしてみると、『ベニスの商人』の物語世界に冒険貸借取引が存在することにすると、金貸しシャイロックは、当然大きな儲けが見込める銀行業兼保険業を営むことになります。そのような現実的な世界では、たとえアントニオが個人としていかに人種偏見を抱いていたとしても、冒険商人としてはそれを公然と口にすることはなく、シャイロックにも、肉1ポンドの取引を持ちかけるほどアントニオを憎む理由が無くなります。そうなると、今知られている『ベニスの商人』自体が成立しなくなります。

逆に、仕事熱心な父親シャイロックが、男手1つで娘を育ててきたという状況が残ります。しかし、出資した船は満載の積み荷もろとも海の藻屑となり、元本も得られるはずだった利息も失う一方で、恋に目が眩んだ愚かな娘は、高価なダイヤモンドを父親から盗み出し、持参金目当ての実のない男と駆け落ちしてしまったということになります。

シャイロックという、1人のもう若くはない男の悲劇が舞台の奥で進行する手前で、アントニオ、バサーニオ、ポーシャ、そして解説を省きましたがバサーニオとポーシャのそれぞれの従者たちが、何の障害も無い、実に盛り上がらないお手軽な恋愛譚をぱたぱたと繰り広げることとなります。すると今度は、今はなんの憂いもなく婚礼を前に浮き立っている若者たちのすぐ将来の姿が、舞台奥の悄然と肩を落としたシャイロックの後ろ姿として浮き上がってくることになり、物語全体が、シャイロックという個人の悲劇ではなく、人間の人生そのものの悲劇として見えてきます。

このように、生命保険という視点から見てみると、偉大なシェークスピアの作品がその形を変えてくるのも、保険というものが、安心、安定、保証というものを社会の仕組みの中で現出させる企てだからでしょう。そして、それらは得難いにもかかわらず人間が求めてやまない根源的な欲求の一部なのです。

社会保険労務士
小野 路子
さいたま総合研究所人事研究会 所属
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