税金・保険コラム

2012.06.06

生命保険の歴史 その3

生命保険は、職場の同僚や近隣の顔の見える範囲の知り合い同士の助け合いに始まって、もっと広い地域からさらに大勢の加入者を募る形で、規模的に発展してきました。しかし、2つの不公平感を抱えていました。

生命保険の歴史 その31つは、いざ加入者が亡くなったときに遺族に支払う保険金額が、結果的に毎年変動してしまう決まりだったことです。もう1つは、加入期間中に支払うべき保険料が誰でも均一で、受け取る保険金額と払い込んできた保険料とに関係がなかったことです。こちらの不公平感は制度の存続を危うくしました。支払う保険料を安く上げようとして、加入上限ぎりぎりの年齢になってから駆け込みで加入する人が後を絶たなかったからです。

そのため、資金不足の懸念から、加入上限年齢の引き上げが行われました。当時も、経験的に、若い人よりも高齢者の方が死亡率は高いということは分かっていましたが、その知識と保険料の決め方とを合理的に結びつける方法は分かりませんでした。そのため、ざっくり、加入上限年齢を10歳も引き下げたのでした。

ちなみに、高齢者の方が死亡率は高いということを、1つの町の公的な記録から明白なものとしたのが、ハレー彗星の名前の基になったイギリスの科学者、エドモンド・ハレー(1656年-1742年)でした。1693年のことです。

しかし、この発見だけでは、アミカブル・ソサエティの加入者達に、公平な保険料負担をもたらすことは出来ませんでした。そこで登場するのが、エドモンド・ハレーと同じく王立協会の会員だったジェームズ・ドドソンです。

ジェームズ・ドドソン(1710年-1757年)は、数学と航海術の発展を願ったチャールズ二世の肝いりで創設された、王立数学校で教えていた数学者であり、教師であり、著述家でした。彼自身がアミカブル・ソサエティに加入しようとしたのは、既に46歳になっていた1756年のことでした。しかし、加入上限年齢を引き下げた直後だったため、加入することは出来ませんでした。

この時どういうあしらわれ方をしたのかは分かりませんが、生命保険の保険料と加入時の年齢との関係に数学者として解決すべき課題を見いだしたのか、ドドソンは猛然と研究を開始します。

これまで誰もよい解決方法を思いつかなかった難問ですが、幸いドドソンには参考になる先行研究がありました。それが、ハレーの論文です。この論文で、ハレーは、加入時の年齢によって保険料を変えるべきではなかろうかと述べていました。根拠として添付した表が、今日「ハレーの死亡表」や「ハレーのブレスラウ死亡表」などと呼ばれるものです。

このハレーの論文に触発され、ドドソンは自分でもデータを集めて研究しました。その結果出た結論は、不公平さをなくし、かつ、生命保険制度を維持するためには、加入時の年齢が高いほど保険料を上げ、また、加入している間、ずっと毎年保険料を上げて行くという身もふたもないものでした(こういう考え方で決められる保険料を「自然保険料」と言います)。

生命保険の歴史 その3しかも、死亡率というものは、各年齢とも均一というものではありません。グラフにすると、初めは緩やかなカーブを描くものの、年齢に従ってどんどん上昇カーブがきつくなるものなのです。このままでは、いよいよ家族のために保険金が必要になるような年齢になると、保険料が高額になりすぎて払いきれなくなってしまいます。

しかし、ここで、数学者ドドソンの面目躍如です。これまでの生命保険組合は、1年単位で保険料と保険金とが釣り合うかを考えていたのですが、ドドソンは発想を変えました。

まず、これまでよくあったように保険金が必要になりそうな年齢になってから駆け込みで加入するのではなく、長期間加入するものと考えます。そして、保険料の方は、毎年必要な金額の総計を死亡表から推定される加入年月で割れば、保険料の急激な上昇という問題を避けることが出来るのみならず、毎年同額の保険料を払えば済むと考えたのです。(この考え方で決めた保険料を「平準保険料」と言います)。

データから割り出した死亡率という根拠に基づいて、加入時の年齢によって保険料を決め、その保険料は毎年変わらないというドドソンの考案した仕組みには、その他にも、すばらしい利点がありました。

若い頃に加入しても、歳をとってから加入しても、不公平ではないので、若い年代の人にも加入してもらいやすくなります。加入者数が増えれば増えるほど、大数の法則が働き、年ごとの実際の死亡者数が推定値に近づきます。これは制度の安定に繋がります。先行する生命保険組合が破綻してきた原因を取り除けるのです。

また、若い年代の人の死亡率は高齢者よりも低いので、この年代の人が払う保険料は、保険金として出て行くことがあまり多くありません。ということは、保険金の支払いに必要な金額よりも多くの資金が溜めておけることになります。この資金は、他の企業に貸し出したり、自分で別に事業を起こしたりして運用することが出来ます。その儲けも勘定に入れれば、さらに保険料を安くすることが可能です。

それだけではなく、この儲けを加入者に払い戻すこともドドソンは提案しました。今日、契約者配当金として知られる考え方です。

しかも、ドドソンは、数学的にアミカブル・ソサエティの仕組みの欠点を解消しただけではなく、考案した保険料の計算方式を採用して、新たな生命保険組合を作ろうとしました。
しかし、役所に申請書を出したものの、残念なことに、許可は得られず、ドドソンはアミカブル・ソサエティに加入を断られた翌年、わずか47歳で病死してしまいました。

生命保険の歴史 その3しかし、ドドソンの考え方は大勢の人に支持され、彼の死後1762年にエクィタブル・ソサエティとして結実しました。エクィタブルとは、「公平な」という意味です。文字通り、合理的な生命保険の仕組みを初めて確立したエクィタブル・ソサエティは、それから200年以上も続きました。今日、彼の功績は、保険の理論と実践面で貢献した人々を顕彰する保険の殿堂(アメリカ)で讃えられています。

社会保険労務士
小野 路子
さいたま総合研究所人事研究会 所属
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