税金・保険コラム

2012.03.07

生命保険の歴史 その2

生命保険は、職場の同僚同士や、同じ教会の教徒やパブの飲み仲間といった狭い地域での知り合い同士から、地域住民というもっと広い範囲から参加者を募る形に発展してきました。全員が顔を知っているようなごく少数の仲間内での助け合いから、「アミカブル・ソサエティー」のように、はるかに大勢の人々同士の助け合いへと変わってきたわけです。

しかし、「アミカブル・ソサエティー」でも、変わらないのは加入者同士の不公平感と生命保険制度そのものの不安定さでした。不公平感は、遺族が受け取れる生命保険金の金額と保険料に集中しました。

まず大きな問題は、保険金額が毎年違ってしまったという点です。保険金額の決め方が、加入者が亡くなった年に集めたお金やそれまで全員で積み立てていたお金を死亡者数で割って、加入者1人分を割り出すというやり方だったためです。極端な話、亡くなった人が1人だった年の保険金額は、亡くなった人が10人だった年の10倍ということになるわけです。

次の問題は、納めた保険料の額が保険金額に見合わない事態が頻発したことです。当時の保険料の額は、加入時の年齢や健康状態に無関係で全員一律になっていました。しかも、若い頃に加入して長年保険料を納めてきた人の遺族だろうが、高齢になってからほんの短期間加入しただけの遺族だろうが、保険金額を決める時には考慮されませんでした。となれば、若いうちに加入して長年保険料を払い続ける理由がありません。

若い人よりも高齢者の方が死亡率は高くなりますから、加入の必要性を感じるのは高齢者の方です。結果的に新規加入者は、加入上限に近い老人が多くなりました。そのままでは保険料収入が不足して、値上げしないと制度そのものの存続が危うくなってしまいます。

結局、「アミカブル・ソサエティー」は、新規加入者が老人ばかりという事態を防ぐため、規約を変更して加入者の上限年齢を下げました。1706年の制度発足当初55歳だった加入上限年齢を、50年ほど運営した後に45歳に下げたのです。

ところが、これをきっかけに、当時としては非常に斬新なアイディアが生まれます。それには、当時の偉大な知性の1人である天文学者が関係してきます。

皆さんはハレー彗星の名前を聞いたことがあると思います。大きな楕円を描いて周回し、約76年に1度地球の近くを通り過ぎる彗星です。最近は1986年に接近しました。76年というと、人間にとっては長い年月ですが、彗星の周期としては大変短い方なのだそうです。

このハレー彗星は、地上から大変大きくはっきり見えるため、古代から記録に残されてきました。現代の天文学の知識と古代の記録とをつきあわせると、ハレー彗星の観測記録は、中国の歴史書である『史記』の紀元前240年が世界最古のようです。

しかし、ハレー彗星という名前がつけられたのは、18世紀も半ばを過ぎてからです。この名前は、イギリスの天文学者、エドモンド・ハレー(1656年-1742年)にちなんでいます。

エドモンド・ハレーは、20以上の彗星の軌道を計算し、記録とつきあわせることで、過去の記録にある彗星が同一のものであると判断し、初めてこの彗星には周期性があることを見抜いたのです。次に地球に接近する年も概算ですが算出し、その予言は多少のズレはありましたが現実となりました。

手計算の他には計算尺ぐらいしかなく、コンピューターの出現など思いもよらない時代に、大量のデータを計算することが出来る人々がいました。大量のデータを計算するということは、生命保険の発展には欠かせませんでした。

エドモンド・ハレーは、ロンドン王立協会の会員でした。ロンドン王立協会とは、1640年代に出来た自然研究愛好家サークルが、1662年になってから王室の勅許状をもらって王立と名乗ることが出来るようになった任意団体です(王立と名乗る許可をもらうことで、教会からの圧力から団体を守る効果を狙ったのではと言われています)。

コペルニクス(1473年-1543年)の地動説を広めようとしたジョルダーノ・ブルーノ修道士が、ローマ法王庁の宗教裁判にかけられ異端として火刑処分になったのが1600年、自身の観察によって地動説を主張したガリレオ・ガリレイが異端審問にかけられたのが1632年という時代背景を考えると、神学・形而上学等のこれまでの権威による言葉によらず、実験・観察による事実を追及するという会の姿勢・すなわち科学が、いかに新しく、勇気あるものであったかが分かります。

そんなロンドン王立協会が、1680年代に人の寿命を数学的に研究することをエドモンド・ハレーに依頼します。

依頼を受けたハレーは、まず記録を集めようとしました。精度の高い記録を求めて、人口の流入出の少なかったドイツのブレスラウ市の資料にたどり着き、分析した結果を1693年に発表しました。この論文は「ブレスラウ市における出生と葬儀の珍しい表から導き出された人間の死亡率の評価」と仮に訳しておきますが、この長い題名に、副題として「終身年金の値段を探求する試み」がついています。

一般にこの論文は「ハレーの死亡表に関する論文」と呼ばれ、論文中に使用された表は「ハレーの死亡表」や「ハレーのブレスラウ死亡表」などと呼ばれます。この表は、年齢が上がることと死亡率が上がることに関係があることを明白にしたものとされています。

この頃、すでに「大数の法則」が発見されていました。「大数の法則」とは、一見無秩序に起こるように思われる出来事も、事例を大量に集めると一定の法則性が見いだされるということです。サイコロを振って1の目が出る回数や、コインを投げて表が出る回数などの実験で、数学による確率に現実も近づくことが証明されていました。ここに、冷徹な科学の目により人間の死亡率も加わったのです。

そして、論文の中でハレーは、生命保険や終身年金の保険料は、加入時の年齢に応じて変えるべきなのではなかろうかと述べたのでした。

しかし、この考え方を生命保険の世界に実際に持ち込んだのは、ハレーではなく、また別の人物です。その人は、ジェームズ・ドドソンという数学者でした。ドドソンが保険料の研究に打ち込むようになったのには、彼にとっての必然性がありました。それについては、また次回お話し致します。

社会保険労務士
小野 路子
さいたま総合研究所人事研究会 所属
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