旅・レジャー

2009.11.12
8世紀末、勝道上人による開山後、源頼朝や北条家など、東国の権力者から山岳信仰の聖地として崇拝されてきた地、日光。中でも、1999年に世界文化遺産に指定された日光の社寺のうちひとつ、日光東照宮は、その堂々たる偉容を持って、1年中参拝者・観光客が絶えない神社である。
日光東照宮の現在の社殿は、三代将軍徳川家光が総力を挙げて造営したもので、朱塗りの柱や金の欄干など、極彩色の装飾や彫刻が当時と遜色ないほどの鮮やかさで残っている。多くの寺社は年を経るにつけ、装飾が落ち渋みのある佇まいになっていくのに、東照宮はなぜその姿のままで在り続けるのだろうか。
その理由は、日光東照宮の建築にこめられた「理念」にある。
日光東照宮では、その神威を保って高揚させ、またその記念性・永遠性をもって多くの参拝を受け入れる、という思想があり、常に社殿を鮮やかな状態で保つために、数十年足らずの短い周期で、絶え間なく修理を行っているのである。
創建以来、徳川幕府による国家を挙げての造替・修理工事は継続的に行われ、寛永13年には創建時のほぼすべてを一新する大工事が、昭和25年~61年にかけても"昭和の大修理"と称される大規模工事が行われた。これら定期的な修理によって、建築意匠の全体を彩る漆塗・彩色・錺金具が保たれ、現在に至るまでその壮美な姿を保っているのである。
また、東照宮に祀られているのは、江戸幕府開祖の徳川家康。家康は駿府の地で死去したが、遺骸はその後すぐに駿府国の久能山東照宮へ葬られ、その翌年には下野国の日光へ改葬されたと伝えられている。
日光への埋葬を家康が望んだのは、一説には「日光が江戸から見てほぼ真北に位置するため」という考えがある。北天は宇宙の中心であり、星は北極星を中心に規則正しく動く。家康は自身が北極星と同様に日光に祀られることで、幕府と日本の平和を守る鎮守になろうとしたとも言われているのだ。
また、世界遺産として指定されているのは、日光東照宮だけでなく、ほかに日光二荒山神社、日光山輪王寺を合わせた二社一寺の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらを取り巻く「遺跡(文化的景観)」である。
しんとした静謐な空気の中、美しい自然と豪華絢爛な建築物、そして積み重ねた時の流れを感じる遺跡を辿る道のりは、自然と体に力が湧くような、魅力に満ちた旅になるだろう。
特に、じっくりと時間をかけて眺めてみたいのが、日光東照宮の数々の装飾だ。ここには美しさだけでなく、さまざまな「仕掛け」も隠れているのである。
たとえば、12本の柱によって構成された陽明門には、1本だけ上下の向きが逆になっているものがある。柱にはすべて渦巻きの文様が施されているのだが、そのうちの1本だけが、他の柱の文様の向きと逆になっているのだ。これは「魔除けの逆柱」と言われており、満月が次の日から徐々に欠けていくように、完成されたものはいずれ崩壊するという考えから、あえて一箇所だけ仕様を変えて未完成とし、災いを避けようとしたものだと言われている。
このような故意と思われる工夫は、陽明門の「魔除けの逆柱」だけでなく、5層目の屋根のみ構造を変えた「五重塔」や、西側の屋根だけ切り落とした「御水舎」などにも見ることができる。
次に、"見ざる、言わざる、聞かざる"で知られる「三猿」(さんざる)は、御神馬をつなぐための「御厩舎」で見られるが、なぜ厩舎に猿を配するのだろうか?
これは、古くから「猿が馬を守る」とされていることからだ。さらに、有名な三猿の図には、実はきちんとしたストーリーがある。
人間の一生を表したこの彫刻は全部で8面あり、その8面のうちの2番目にあたるのが「三猿」だ。物心のつく幼少期に、"悪いことを見たり話したり聞いたりせずに成長するように"という思いがこめられている。面が進むごとに、青年期、夫婦で荒波を越える姿へと移りゆく様は、人生についてしみじみと考えるいい機会にもなりそうだ。
また、有名な「眠り猫」は、牡丹の花に囲まれ、日の光を浴びてうたた寝する猫を描いた彫刻だが、この由来は「日光」の地名にちなんでいる。さらに、日光を代表する銘菓「甚五郎煎餅」の名前は、この「眠り猫」の彫刻を施した名匠「左甚五郎」にちなんでつけられたものだ。
そして「三猿」、「眠り猫」とならぶ、東照宮の三彫刻「想像の象」は、江戸時代を代表する絵師・狩野探幽が、当時まだ日本には居なかった「象」を想像で下絵を描いたことからこのように呼ばれている。「想像の象」の耳の穴が裏側ではなく表側になっていたり、尻尾の形が3つに分かれていたりと、実際の象とは異なる姿を見るのも面白いだろう。
長年の修理を経て、常にその荘厳さを保つ日光の二社一寺。ただゆるりと歩くだけでも清廉な空気に心が癒されるが、端々まで計算し尽くされた社殿群を、ただ通り過ぎるのではもったいない。時代を超えてなおも変わらぬ姿で有り続ける参拝の地、旅するならば、その深みにも触れてみよう。
« 前の記事へ 次の記事へ »