旅・レジャー

2009.04.09
桜の名所として名高い、奈良の吉野山。山すそから山頂への標高差は約600m、桜色のじゅうたんを徐々に広げていくかのように上方へ咲き昇っていくその様は、春の到来を可憐に告げる美しい景色として、古来より人々に愛されてきました。
また、吉野の桜は特別な歴史を持つことでも有名です。この山にこれほどまで多く桜が存在するようになったのは、およそ1300年前のこと。当時、修験道の開祖とされる呪術者「役行者(えんのぎょうじゃ)」が、修行のうちに蔵王権現を感得し、桜の木にその像を刻んだことがきっかけだといわれています。
役行者の神秘的な伝承や修験道は、後世に伝説として伝えられるほど人々の心を強く惹きつけ、行者が開いた金峯山寺(きんぷせんじ)への参詣者は、日を追うごとに増えていきました。
そして蔵王権現の尊像が刻まれた桜の木は御神木として保護され、その後、桜の木が献木として次々に植えられるようになったのです。
現在、公園などで一般的に見られる桜は、白い花弁のソメイヨシノがほとんどですが、吉野山を覆うように咲く約200種3万本の桜の多くは、桜の原種である白山桜(シロヤマザクラ)です。この白山桜が山肌に咲き誇る様は「一目千本」と評される素晴らしい景色。
山すそから山頂にかけて下千本、中千本、上千本、奥千本と、濃淡のある桜色が、波のように広がっていきます。
若葉と時を同じくして開く白山桜の花姿は凛とした気品に満ちており、そのやわらかな色彩から感じられるみずみずしい生命の息吹は、瞳から心の奥深くにまで静かに染み入ることでしょう。
その景色の素晴らしさは、古くは豊臣秀吉がこの桜を愛でるために、諸将を集めて大宴会を開いたというエピソードもあるほど。どんな時代の歴史にも、春を喜ぶ人々の気持ちは変わらず語り継がれ、吉野山は、憧れの地となったのです。
この季節にだけ逢える夢のような景色を見に行きたいと、現代に生きる私たちが惹きつけられるのも当然のことかもしれません。
春の到来を知らせる白山桜の、軽やかかつ明るい色彩を思う存分浴びたら、少し足を伸ばして吉野山の奥深く、「奥千本」の辺りにひっそりとたたずむ「西行庵」に訪れてみましょう。
ここは平安末期の歌人・西行が俗界を避け、隠遁生活を送った場所と伝えられる場所です。もともとは武士であった西行は出家をして僧となり、まだ20代という若さで都から去り、隔絶された山深い地に移り住みました。数年間の間、うっそうと茂る木々、しんと静まりかえった空気の中で、西行が何を思いながら過ごしたのか...確かなことはわからないものの、西行が詠んだ歌から、その断片を知ることができます。
「吉野山 梢の花を見し日より 心は身にも添はずなりにき」
「春風の 花を散らすと見る夢は 覚めても胸の騒ぐなりけり」
「願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」
桜の花に焦がれて浮き足だつような心境を詠んだ歌があれば、最期は満開の桜の下でむかえたいと願う歌もあり。西行は桜の花を特に好み、吉野山のことを詠んだ歌が多く残したのでした。
西行はまた、西行庵から少し歩いた場所にある、岩間から湧き出す清水のことも歌にしています。時代は下り、西行を師と仰ぐ松尾芭蕉も、西行の足跡を辿るようにしてこの庵を2度訪れました。その際、憧れの西行が詠んだ苔清水を見つけ、淡いユーモアを感じさせるこのような句を残したとか。
「とくとくと 落つる岩間の苔清水 汲みほすまでもなきすまひかな」(西行)
「露とくとく試みに浮世すすがばや」(芭蕉)
2人の偉人が詠んだ苔清水には、時を超えて今もなお、清らかな水が湧き出ています。吉野山の奥深くに抱かれた歴史あるこの場所で、西行の歌をそらんじつつ、幾度も巡ったであろう春の季節に思いを馳せて、散策してみてはいかがでしょうか。
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