旅・レジャー

2008.11.13
東京・下町の伝統料理として知られるもんじゃ焼き。その起源は江戸時代の後期頃にあると言われています。もんじゃ焼きという変わった名前の由来は諸説ありますが、鉄板に文字を書くようにしてタネを焼く「文字焼き」がなまったという説が最も有力。江戸時代の子どもたちは、小麦粉を薄く溶いたものを鉄板の上で文字のようにして書いて焼き、食べながら学んでいたのだそうです。
さらに、意外に知られていないかもしれませんが、もんじゃ焼きはたこ焼きやお好み焼きのルーツになったとも考えられている料理。今も昔も変わらず人々に愛され続けているのは、皆でワイワイ気取らずに食べられるからという理由も大きいのかもしれません。
今回は、このもんじゃ焼きがどのようにして人々に浸透していったのか、そして地方の人にとってはどのような存在だったのかなどについてご紹介しましょう。
近年どんどん数を減らしている駄菓子屋が、まだたくさんあった時代。多くの子どもたちは、駄菓子屋の奥に大抵設置されていたという鉄板の上で、もんじゃ焼きをおやつ代わりに食べていたと言います。
はじめは水で溶いた小麦粉をソースなどで味付けただけのものが、食文化が豊かになるにつれてキャベツや切りイカなどの具が少しずつ加えられるようになり、最終的には大人たちの口にも合う立派な料理へと変化していったのだとか。
もんじゃ焼きと言えば誰もが思いつく街、月島(東京都中央区)には、そんな駄菓子屋時代からの味を守り続ける店が残っています。「もんじゃストリート」という、もんじゃ焼き屋が今尚多く並ぶ月島へ訪れたなら、歴史を感じる味を試してみてはいかがでしょうか。
また、最近では大人ならではの楽しみ方として、屋形船でもんじゃ焼きを味わうというプランも人気を呼んでいます。気心の知れた友人を誘って、情緒あふれる屋形船でもんじゃ焼きを味わうというのも、なかなかオツな旅になりそうです。
東京・下町の食べ物というイメージが強いもんじゃ焼きですが、実は埼玉県や群馬県、香川県などでも、同じ名前の"似ているようで似ていない食べ物"が昔からあったのだそうです。例えば、現在スタンダードとされているもんじゃ焼きの作り方は、最初に具で土手を作り、中央に汁を流し入れるという形ですが、実は、これは月島ならではの方法。群馬県の伊勢崎では、土手は作らず、隠し味にシロップなどを入れて甘辛く味付けることがあるそう。さらに香川県の讃岐では、かけうどんに野菜と小麦粉を入れて焼き、いりこや昆布だしで味付けたものをもんじゃ焼きと呼ぶのだそうです。
私たちがよく知る「もんじゃ焼き」とは一味違った、その地方独特のもんじゃ焼きの存在。旅先でそんなお店に巡り合ったら、試しに食べてみるのも面白いかもしれません。
異なる趣は、各地の文化そのもの。熱々料理が恋しくなるこれからの季節、その土地ならではのもんじゃ焼きを求めて訪ね歩く旅は、きっと心に残る体験になるはず。ぜひ計画してみてはいかがでしょう。