趣味・教養

2011.09.14
19世紀のパリで大活躍した画家、トゥールーズ・ロートレック。当時のパリの人々や風俗を描いた彼の作品は、額縁の中の芸術にとどまらず、ポスターという広告分野においても才能が花開きました。今年2011年は、そんなトゥールーズ・ロートレックの没後110年に当たります。そこで今回は、ベルギーから6月に発行されたばかりの、「トゥールーズ・ロートレック切手帳」をご紹介することにいたしましょう。
日本では「ロートレック」の通称で知られる、アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック(1864~1901)。ヨーロッパでも屈指の名門、南フランス・アルビのトゥールーズ・ロートレック伯爵家の長男として生まれました。両親や周囲の人々に溺愛されて育ったロートレックでしたが、2度の事故で両足の大腿骨をそれぞれ骨折。それきり下半身の成長がとまってしまうという不運に見舞われます。大事な跡取りであったロートレックですが、「馬にも乗れない嫡男」と父親からの関心を失ってしまうのです。
貴族として生きる道を閉ざされたロートレックは、1882年にパリへ出て、画塾で本格的に絵を学び始めます。のちに移り住んだのは、当時、歓楽街として大賑わいだったモンマルトル。バーやキャバレーが立ち並ぶ、華やかで猥雑な土地でした。ロートレックはモンマルトルに生きる人々の光と影を題材にし、斬新な表現で描き続けます。そして、そのまま晩年までをこの地で過ごしました。
1886年には、ロートレックが通う画塾にゴッホが入門。ゴッホは浮世絵に熱心だったことで有名ですが、ロートレックもまた "ジャポニズム" に影響を受けた画家のひとりです。彼が才能を開花させたポスターという分野の中で、浮世絵から着想を得た独自の世界観を確立させていきました。
ロートレックは、キャバレー・酒場・娼婦・芝居小屋などを題材にした絵を多く描いています。ポスターとして描かれた作品の中には、画面構成や線の描き方に浮世絵を髣髴(ほうふつ)とさせるものが多く見られます。油彩のみでなく、素描、石版画にも才能を発揮したことで知られ、特にグラフィック・デザインの分野ではアール・ヌーヴォーを代表する多数のポスターを残しました。
ポスターを芸術的地位に高めたロートレック。37歳の短い生涯を駆け抜けた彼は、「小さき男(プティ・トンム)、偉大なる芸術家(グラン・タルティスト)」として美術史上にその名を残しています。
さて、今回の切手デザインに採用されたロートレックの作品は、近代の絵画やポスター作品のコレクションを収蔵する、ベルギー・ブリュッセル「イクセル美術館」に所蔵される10点です。切手帳中面、左上からご紹介しますので、ちょっとした解説と共に、作品の魅力をご堪能ください。
紙吹雪(1894年)
お祝いやイベントに欠かせない紙吹雪。実は19世紀まで結婚式やカーニバルには、紙ではなく石膏の破片をまいていたそうです。さすがに体へ当たると危険ということから、1892年に禁止となり、代用品として紙を使うことになったのです。そこで、紙吹雪を作るイギリスの製紙会社がロートレックに依頼したのがこのポスター。「confetti(紙吹雪)」というロゴも印象的なこの作品、モデルは女優のジャンヌ・グラニエ。ロートレックが心惹かれたという、謎めいた微笑が印象的です。
アリスティド・ブリュアン(1893年)
シャンソン歌手で作詞家・作曲家。寄席の即興詩人として舞台に立ちながら、モンマルトルに自分のキャバレーを持っていたアリスティド・ブリュアン。彼が依頼したという、彼自身の広告用ポスターです。トレードマークだった「黒いマント・真紅のマフラー・つば広の帽子」という3つのアイテムにブリュアンの個性が凝縮され、日本の浮世絵の影響も強く感じられる作品です。ロートレックは、ブリュアンの知遇を得て彼のキャバレーに油絵を置いてもらうようになりました。また、ブリュアンとの出会いをきっかけに、娼婦たちと交流を持つようになったということです。
メイ・ミルトン(1895年)
イギリス人の歌手で踊り子、メイ・ミルトンがアメリカ巡業の広告用に依頼したポスター。週刊誌「ル・リール」に発表後、翌年ランスの国際ポスター展に出品されました。このポスターはピカソもお気に入りで、彼のアトリエにも飾られていたそうです。メイ・ミルトン本人は、その後売れっ子になることはありませんでしたが、トゥールーズ・ロートレックの作品へ登場したことで、彼女の名が永遠に残ることになったのです。
ル・ディヴァン・ジャポネ(1893年)
日本で特によく知られた作品のひとつ、カフェ・コンセール(音楽カフェ)「ディヴァン・ジャポネ」のポスター。黒のドレス、黒の帽子、右手に黒の扇を持っているのは、フレンチカンカンの人気ダンサー、ジャヌ・アヴリル。シルクハットに片眼鏡の紳士は、音楽批評家エドゥワール・デュジャルダン。そして首から下しか見えませんが、舞台の上の女性は、女性歌手イヴェット・ギルベールだと言われています。当時の有名人3名を大胆な構図で描いた作品です。
歓楽の女王(1892年)
高級レストランで、銀行家のパトロンにキスをする高級娼婦を描いたこの作品。もともとポーランド人作家ヴィクトール・ジョゼが彼の著作『歓楽の女王-娼婦の世界の風習-』の出版を宣伝する目的で、友人のロートレックに依頼して制作されたポスターだそうです。
サロン・デ・サン(1896年)
ル・アーヴル港から船に乗り合わせた美しい女性がモチーフ。ロートレックは彼女に恋心を抱き、船を途中で降りて母親に会いに行く予定が、リスボンまで乗り越してしまったという、ちょっと面白いエピソードが残っています。
コーデュー(Caudieux)(1893年)
コーデューは、当時のモンマルトルのエンターテイナー(コメディアン/歌手)でした。彼の大股で歩く様子や燕尾服のすそのひるがえりなどに、さっそうとした風貌が表現されています。ポスターに全身が収まりきらない独特の描き方も、素早い動きを一瞬にしてカメラでとらえたような、ダイナミックでいきいきした構図となっています。
ジャヌ・アヴリル(1899年)
フレンチカンカンの人気ダンサー、ジャヌ・アヴリルがモデル。彼女は「ムーラン・ルージュ」や、シャンゼリゼの有名なカフェ・コンセール「ジャルダン・デ・パリ」で主役を務めたスターでした。ロートレックがポスターにジャヌの肖像を描いたことで、エンターテイメント界における彼女の名声がさらに高まります。ジャヌ・アヴリル一座のロンドン公演における盛り上がりは、熱狂的だったそうです。
エルドラド:アリスティド・ブリュアン(1892年)
多くのカフェ・コンセールに出演していた人気歌手ブリュアン。「エルドラド」への出演を告知するポスターです。実は、この前に制作された「アンバサドゥール」出演用のポスターを左右逆転させただけで、サイズも同一。色調は変えられたものの、前作と同数の色(黄・薄紫・青・赤・グレー・黒)が用いられています。
ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ(1891年)
1889年に開店した「ムーラン・ルージュ」が、ライバルの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」から人気ダンサー「ラ・グーリュ(大食い)」の引き抜き宣伝を打って制作されたポスター。手前に描かれているのは、彼女とコンビを組んで踊っていた「骨なしヴァランタン」。観衆(後景の黒い影)とヴァランタン(前景の墨色の影)の間で、ランプの光を浴びて踊るラ・グーリュ。「ムーラン・ルージュ」とロートレックの名を世に知らしめた作品です。
いかがでしたか。いまも店舗装飾などでよく見かけるトゥールーズ・ロートレックの作品たち。商業クリエーターの先駆けであった彼が、いかにさまざまな業績を残しているか、お分かりいただけたかと思います。没後110年を経ても色あせない、ロートレックのポスター芸術を、ぜひお手元でじっくりご覧ください。
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※画像をクリックすると拡大できます。 ※切手帳とは、携帯するため切手を小冊子のように表紙の間に綴じ込んだ物。今回の切手はシール式(シールのように台紙からはがして貼るタイプ)で、表紙の内側にシール式切手が印刷されている。 |
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