趣味・教養

2009.10.14
2009年6月25日の午後。世界に知られた"キング・オブ・ポップ"・マイケル・ジャクソンが、突然この世を去りました。そのニュースは世界をかけめぐり、多くのファンが、このスーパースターの早すぎる死を惜しみ悲しみに暮れたことは記憶に新しいことと思います。今回は、彼の偉業とその思いでを偲んで、不世出のエンターテイナー・マイケル・ジャクソンの死を追悼して発行された2カ国4種類の連刷シートをご紹介します。
1958年8月29日、インディアナ州に生まれたマイケルは、父の厳しいレッスンを受けながらすでにデビューしていた兄たちのグループに加わる形で、5歳にしてデビューを果たしました。1966年になると、あらためて4人の兄たちと「ジャクソン5(ファイブ)」を結成。その秀でた音楽センスが話題となり、次第に頭角を現していきます。そして1969年、レコードレーベルのモータウンから出したメジャー1作目「I want you back(帰ってほしいの)」が、いきなり全米ヒットチャート1位を獲得。その後も「ABC」「The Love You Save(小さな経験)」「I'll Be There」と立て続けに1位となる快挙で、天才少年の名をほしいままにします。
その音楽性は、マイケルが成長するとともにますます輝きを増し、さらには作詞、作曲、そしてダンスの才能も開花したことにより、単独での音楽活動の場も増えてきました。そして1982年8月、アメリカの名音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズと組んで制作した「スリラー」が、全米チャートで37週にわたる1位のビッグ・ヒットをたたき出したことで、世界中にその名をとどろかせたのです。翌年にはこの「スリラー」を、ショート・ムービーに仕立てたミュージック・ビデオを公開。のちに「最も成功した音楽ビデオ」としてギネス記録にも認定されたこのミュージック・ビデオは、14分という、以前のミュージック・ビデオでは考えられない長さと、マイケル自身が狼男に変身する、不気味なゾンビとともにキレのあるダンスを披露するなど、斬新な演出手法で旋風を巻き起こしました。確かな才能と、世に広がるポップさを兼ね備え、彼はスーパースターへの階段を一気に上りつめたのです。
その後も「Billie Jean」「Beat It」「BAD」などの名曲を、独特の世界観をもつミュージック・ビデオとともに発表し、時代の音楽シーンを切り開いたマイケルは、一方でチャリティー活動にも大変力をつくしました。1985年、エチオピア難民救済チャリティー「USA for AFRICA」のためにライオネル・リッチーと共作した「We are the world」をはじめ、たくさんのチャリティー曲を発表。これらのほか、イベントへの参加売上などを難民救済や、恵まれない子どもたちのために寄付したことでも知られています。
その一方で、エルビス・プレスリーの娘、リサ・マリー・プレスリーとの電撃結婚と離婚や、2番目の妻デビー・ロウとの間に生まれた子どもたちに覆面をかぶせて連れ歩いたり、「ネバーランド」と名付けられた遊園地、動物園、映画館併設の広大な自宅における生活など、そのミステリアスで型破りなプライベートでも、常に世間の注目を集めました。
しかし、1984年に制作された清涼飲料のCM撮影中、頭にひどいやけどを負ってしまったことから鎮痛剤の常用が始まり、数々のスキャンダルによる精神的なダメージとあいまって、次第に彼の健康は蝕まれていったと言われています。そしてついに、2009年7月のロンドンにおけるラスト・ライブ目前の6月25日、突然の呼吸停止。あまりにも衝撃的な、50歳という若さでの死でした。マイケル・ジャクソンの追悼式は7月7日、ロサンゼルスのスティプルズ・センターで多くのファンを集めて行われ、全世界へ向けても中継されたことから、ご覧になった方は多いのではないでしょうか。
この追悼式と同じ日に、カリブ海の島国セントビンセント・グレナディーンとアフリカのガンビアから、マイケル追悼の切手が発行されました。セントビンセント・グレナディーンから発行された切手シートは、ステージ上で華麗に舞い踊るマイケルの全身像をシート地に、その表情を収めた切手4種連刷。シートにはサインも印刷されています。ガンビアからもファッショナブルに決めたマイケルのステージ写真と、珍しい少年・青年時代の写真もデザインされた価値ある切手シートが届きました。
彼はこの世を去りましたが、彼の音楽、そして残した数々の偉大な業績はこれからも語られ続けてゆくでしょう。不世出のキング・オブ・ポップス、マイケル・ジャクソンと同時代に生きた証として、この機会にこれらの逸品をみなさまのコレクションに加え、彼の音楽と共に、いつまでも心に残る記念とされてはいかがでしょうか。
 
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