趣味・教養

2011.09.30
食欲の秋、スポーツの秋、そして芸術の秋がやってきました。今回は、こうした季節にふさわしく「音楽家」をテーマにデザインされた切手たちをご紹介します。歴史に残るクラシックの大作曲家や有名指揮者を眺めていると、秋の夜長に彼らの曲や演奏を楽しみたくなるかも!? では、さっそくご覧いただきましょう。
オペラ『セビリアの理髪師』や『ウィリアム・テル』が有名な作曲家、ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(1792~1868年)は、アドリア海に面したイタリアの観光地「ペーザロ」で生まれました。父は食肉工場の検査官をしながらトランペット奏者として活躍。母はパン屋の娘でなおかつ歌手という音楽一家。ロッシーニはこうした両親から、最初の音楽教育を受けて育ちます。
10代後半ごろから作曲をはじめると、20歳から21歳の間に『タンクレディ』『アルジェのイタリア女』を相次いで発表し、世にその名を知られることになりました。有名な『セビリアの理髪師』は、なんと24歳のとき、2週間あまりで仕上げた作品だそう。
最も売れた時期には、一年間に3作品から4作品も書き上げた、天才作曲家ロッシーニ。ウィーンでベートーベンに面会した際には『セビリアの理髪師』を絶賛され、パリではスタンダールが「ロッシーニ伝」を著すなど常に注目の的でしたが、38歳で『ウィリアム・テル』を書き上げると、その後は『スターバト・マーテル』ほか宗教曲、歌曲、ピアノ曲などを少しずつ書くのみで、現在でいう「アーリーリタイヤ」に近い状態になりました。その理由は「昔はメロディの方から私の元へやって来たのに、最近は私からメロディを探しにいかないと見つからない」から。いかにも苦労知らずの天才的発言です。
若いころから美食家としても知られたロッシーニは、60代で高級レストランの経営に乗り出したことも。生誕150年記念に発行された切手デザインは、生まれ故郷のペーザロにあるロッシーニ音楽院庭のロッシーニ像と肖像画。76年の満ち足りた人生を送った彼らしい、余裕の表情がうかがえますね。
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管弦楽曲から室内楽曲、器楽曲、宗教曲、歌劇まであらゆる分野で活躍したのが、世界で最も有名な作曲家の一人、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791年)です。
父レオポルトの英才教育を受けたモーツァルトは、卓越したチェンバロ演奏の腕だけでなく5歳で初めての作曲をするなど、幼少期より才能が花開きます。ロッシーニと同じく、いえそれ以上に作品を書き上げるまでの期間がとびぬけて早く、たとえば1788年に発表された交響曲第39番、40番、41番は、6週間で完成させたそうです。
貴族や宗教関係者、土地の実力者などに呼ばれヨーロッパ各地で演奏会や音楽レッスンを行ったモーツァルトですが、彼の場合は行く先で必ずしも正当な評価を得られなかったことやモーツァルトの活躍を恐れた宮廷楽師による演奏会の妨害行為、加えて彼自身のあまりにも自由すぎる言動にも問題があったことなどから、金銭面での苦労が付きまとっていました。
さて、続いては世界的指揮者をデザインした切手のご紹介です。時代を超えて語り継がれる大物指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニ(1867~1957年)。故郷パルマの王立音楽院でチェロと作曲を学んだトスカニーニは、卒業後に所属したロッシ歌劇団の演奏旅行中、急きょ代役指揮者を務めることとなりました。ヴェルディの『アイーダ』を振って大成功をおさめたこのとき、彼はまだ19歳の若者だったそうです。
その後、21歳でミラノ・スカラ座の音楽監督に就任し、プッチーニの『トゥーランドット』『ラ・ボエーム』をはじめ、多数のオペラで初演のタクトを任されるほどの人気と信頼を手中にします。ちなみに『トゥーランドット』初演時には、音楽ファンでならしたムッソリーニが臨席を予定していました。しかし当時習慣であった『ファシスト党歌』の演奏をトスカニーニが拒んだことから、臨席が取りやめになったという逸話も残っています。
こうした反骨の人トスカニーニは、練習の厳しさでも有名でした。亡命地のアメリカで、彼のためにRCA社によって設立されたNBC交響楽団では、その要求に応える人材を育成しようと厳しい入団オーディションを行いました。また日常の練習指揮者も、トスカニーニに負けず劣らずストイックなポーランド人指揮者、アルトゥール・ロジンスキーが担当しています。
没後50年に発行された切手には、文字が印刷されるL型ラインに特殊インクが使われ、見る角度によって輝きが変化する仕掛けが。威厳あるマエストロの肖像とともに、ちょっと変わったきらめきをぜひお手元でお楽しみくださいね。
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最後は、日本との関係も深い指揮者、ズービン・メータ(1936年~)です。インドのムンバイに生まれたメータは、ウィーン音楽院に学び、22歳でイギリスのリヴァプール国際指揮者コンクールで優勝。翌年ウィーン・フィルに招かれ、「第2のトスカニーニの誕生」という最大級の賛辞とともに大成功をおさめました。
これをきっかけにモントリオール交響楽団音楽監督、ロサンゼルス・フィル音楽監督兼常任指揮者、ニューヨーク・フィル音楽監督などを歴任。そして1961年には運命のイスラエル・フィルとの出会いがあり、1969年から音楽顧問を、1977年から音楽監督を務めています。1936年の設立時から、優秀なユダヤ系演奏家の集まりであったイスラエル・フィルは、メータとともにさらに大きく成長を遂げ、ウィーン・フィルやベルリン・フィルをしのぐほどの豊かな弦の響きは「世界一の弦」とも称されるほどです。
日本でも、このイスラエル・フィルやウィーン・フィルなど一流オーケストラを率いてたびたび演奏を行うとともに、NHK交響楽団や読売日本交響楽団など、国内のオーケストラも指揮する親日家として知られています。今年3月、フィレンツェ歌劇場を率いての来日中、東日本大震災に遭遇しながらも、フィレンツェ市長の帰国命令が出る14日までは、演奏会を継続しています。さらに、多くの外国人アーティストの来日が中止になる中4月には再来日し、NHK交響楽団によるベートーベンの「第九」を指揮し、聴衆に大きな感動を与えました。
切手デザインは、元旦恒例、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを振るメータ。この切手が発行された2007年は、彼にとって4度目のニューイヤー・コンサートだそうですよ。
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