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趣味・教養

切手~小さな四角の世界~

2009.02.25

近代洋風建築

「文明開化」と呼ばれた明治時代。日本には一気に西洋文化の風が吹き込み、人々の生活を一変させました。近代日本の幕開けであるこの時代、全国各地では美しい洋風建築の建物が次々に作られ、そのいくつかは現在でもその美しい姿を残しています。今回は、そんな全国に残る建築資産の西洋館を描き続けた洋画家、近岡善次郎の作品から、切手デザインに採用された4点をご紹介しましょう。

大浦天主堂(長崎市)

大浦天主堂
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  • 切手名称:近代洋風建築1集 大浦天主堂
  • 商品番号:120891
  • 発行日:1981.8.22
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わが国に現存するもっとも古いカトリック教会堂として知られ、日本の近代洋風建築の中でただ一つの国宝指定建造物が、長崎県長崎市にある「大浦天主堂」(国宝、長崎市南山手町)です。大浦天主堂は、1863年2月に着工、1864年(元治元年)12月に竣工しました。設計者はパリ外国宣教会の神父フューレとプチジャン。施工は天草出身の請負人・小山一族と、国内外の人々が協力して完成させた、建築資産です。

現在では、五廊式会堂の建物となっていますが、創建当初は、身廊(祭壇に向かって中央の柱間部分)とその両側に側廊を持つゴシックとバロック、日本式の海鼠(なまこ)壁を混在した様式の教会堂で、金色の十字架の輝く3本のせん塔があり、構造は土蔵造でした。 明治8年(1875年)ころ(一説には明治12年)、大がかりな増改築がされ、現在のような白しっくい塗りのレンガ壁、内部は木造という形になりました。そのあしらいには、日本人工匠たちの見事な技量が発揮されています。

木造の高いヴォールト(円天井)、床が一段高くなっている身廊など、全体の意匠は単純素朴な味わいを備え、宗教建築にふさわしい気品を示しています。なお、この建築の西に隣接して、木骨レンガ造の旧羅典神学校(明治8年、重要文化財)もあります。

旧開智学校校舎(松本市)

旧開智学校校舎
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  • 切手名称:近代洋風建築2集 旧開智学校校舎
  • 商品番号:120893
  • 発行日:1981.11.9
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長野県松本市に現存する「旧開智学校」校舎(重要文化財、長野県松本市)は、明治9年(1876)に竣工した、木造大壁造しっくい塗り2階建ての小学校建築です。 明治初期のいわゆる"擬洋風"建築の代表的な遺構であり、寄棟(よせむね)造の屋根中央には八角の望楼、そして東西南北の文字付きの風見が天に伸びています。この校舎は信州教育の発祥の場のみならず、日本の学校教育史上にも重要な存在であり、現在も教育資料館として、活用されています。

"擬洋風"建築とは、明治初年に民間の大工・棟梁たちが、西洋建築を見よう見まねで設計し建てたもの。アーチ形の窓、上げ下げのガラス戸、バルコニー(露台)の付いた車寄せ、建物壁隅のコーナー・ストーン(隅石)など西洋建築を模しつつも、いたるところに伝統の日本的意匠も採用されています。

旧開智学校校舎の設計・施工は、地元・松本の棟梁・立石清重(1829~1894)。彼は、東京や横浜にたびたび出てきては西洋建築をスケッチし、設計の参考にしました。その努力から作られ、重厚で文明開化の気運を見事に表現したこの建築は、元々は市の中心部、女鳥羽川のほとりにありましたが、昭和36年、重要文化財の指定を機に、松本城の北に移築されました。日本の伝統の意匠である唐破風や、「開智学校」の字幕をかかげた2体のキューピットなどに、新時代を迎え、子弟の教育に情熱を傾けた大人たちの心意気が感じられます。

北海道庁旧本庁舎(札幌市)

北海道庁旧本庁舎
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  • 切手名称:近代洋風建築6集 北海道庁旧本庁舎
  • 商品番号:120910
  • 発行日:1982.9.10
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札幌市中心部の広大な敷地に、"赤れんが庁舎"として有名な、北海道庁旧本庁舎(重要文化財、札幌市)が建っています。現在、赤れんが庁舎に代表される観光名所が集まった札幌の街は、明治6年の昔、まだ原野のような土地でした。この地に竣工した開拓使本庁を中心にして、原野の中の都市計画が始まったのです。

その後、開拓使が廃止されて北海道庁が設置されたのを機会に、明治19年7月、道庁舎の建設が始まり、明治21年(1888)12月に完成。明治42年1月、庁舎は不幸にして火災に見舞われましたが、残ったレンガ壁を補修し、北海道庁本庁舎として大切に使われたのです。その後、昭和43年に新庁舎に建て替えられたのを機に、中央の八角塔を復原するなど大規模な修復工事の末、再び創立当初の姿を道民の前に現しました。

旧庁舎はレンガおよび一部石造、地下1階地上2階の大きな建物で、レンガの化粧積み、屋根上のにぎやかな煙突や換気筒など装飾的な意匠は、アメリカ、ヴィクトリアン・ゴシックの影響が色濃く反映されています。設計者の平井晴二郎は、アメリカに留学経験のある土木技術者で、建築家とは一味違う大振りなデザインを実現しています。 緑濃い敷地の中に赤れんがの色が映えるこの建物を見に、現在でも札幌を訪れる人が後を絶ちません。長い歴史を持つこの建物は、かたわらの明治6年の開拓使本庁庁舎跡遺構と併せて、国の重要文化財に指定されています。

日本銀行本店本館(東京都中央区日本橋)

日本銀行本店本館
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  • 切手名称:近代洋風建築10集 日本銀行本店本館
  • 商品番号:120981
  • 発行日:1984.2.16
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明治29年に竣工した、日本金融の総本山「日本銀行本店」(重要文化財、東京都中央区日本橋)は、明治建築の頂点としても知られます。 この建築が建てられたころ、日本では鉄筋コンクリートや鉄骨の建築技術は、まだほとんど知られていませんでした。そこで壁体はレンガ積みの上に石を貼り、屋根は鉄材で組み、基礎は厚いコンクリートと、当時の技術の粋を集めた、堅固な建物となっています。明治24年に発生した濃尾地震の経験も生かす形で、何より丈夫さを重要視しています。

設計者は、帝国大学造家学科(今日の東大工学部建築学科)の教授で、明治建築界の重鎮、辰野金吾(1854~1919)。明治10年(1877)に政府の招きで来日した建築家ジョサイア・コンドルの弟子でもある辰野は、九州藩士の出。日本銀行本店設計のためにヨーロッパへ調査旅行におもむき、そこで見たベルギー中央銀行をモデルにしたといわれていますが、ルネッサンス様式を基調にしてバロック様式も混在するなど、日本人としての西洋建築家第1世代らしい雰囲気が漂います。

彼は仏文学者辰野隆の父でもあり、親子2代で西洋文化に造詣の深い人物として、歴史に名を残しました。

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