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趣味・教養

切手~小さな四角の世界~

2008.07.03

切手でめぐる日本の名城~西国編~

[2008年7月3日(木)]

日本の名城シリーズの第2回目は、関西から九州地方までの城をご紹介する「西国編」です。
ご存じのとおり、徳川幕府が江戸に開城するまでは、京都を中心とした関西が政治・経済の中心地でした。
そのため関西より南には、それぞれの時代や地域を代表する名城が数多く残っています。
今回は、その中から5つの城をピックアップ。歴史やエピソードとともにご紹介します。

派手好きの秀吉が建てた黄金の大阪城(大阪府)

日本「大阪城/近畿の城 5種連刷」
発行日:2007年6月1日

購入はスタマガネットへ

大阪城は、豊臣秀吉の天下統一の拠点として造られました。無類の建築好き、派手好きの秀吉は、瓦などいたる所に黄金をふんだんに用い、その豪壮華麗 な姿は「三国無双」と称されたと伝えられています。秀吉は、来訪者があると自ら好んで本丸内を案内してまわり、金銀の装飾に溢れた内部や、大天守に納めら れた財宝の山などを誇示して、驚嘆させたとか。

残念ながら、その後、徳川家康に攻められた慶長20年(1615)の大阪・夏の陣で廃墟同様になり、現存するのは再興した遺構のみ。往時の黄金色に 輝く姿を、私たちが望むことはできません。しかし天守閣は市民の寄付金によって再建されており、大阪市の象徴としてそびえ立っています。また、城址は大阪 城公園として大阪市のシンボルになっていて、市内でも有数の花見スポット。華やかなことが大好きだった秀吉も、現在のにぎわいぶりを見ればきっと喜ぶに違 いありません。

白鷺に例えられる姫路城の華麗な姿(兵庫県)

日本「姫路城/近畿の城 5種連刷]
発行日:2007年6月1日

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姫路城は、白亜の天守群の美しさから白鷺城(はくろじょう、一般的にはしらさぎじょう)とも呼ばれています。国宝に指定された4城のうちのひとつで、築城以来の姿を今もなお多く残していることもあり、“日本一の名城”とも言われています。

実はこの姫路城、1967年に公開された映画『007は二度死ぬ』のロケ地になったことが。ショーン・コネリー演じる主人公ジェームズ・ボンドが、 ヘリコプターより降り立ったのが、姫路城の三の丸広場。ところが、撮影中に城壁に手裏剣を投げつけて一部を破損させてしまう事故があったそうで、以降、海 外からのロケはお断りになってしまったという話も。もしこの映画を観る機会があったら、ぜひ姫路城が登場するシーンに注目してみてください。

彦根城はいろいろな城をリサイクルしてできた?(滋賀県)

日本「彦根城/近畿の城 5種連刷」
発行日:2007年6月1日

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彦根城は、徳川四天王の一人井伊直政の世子直継が完成させた城です。こちらも、姫路城と並び国宝に指定されており、別名・金亀城(こんきじょう)とも呼ばれています。

彦根城の特徴は、建物の多くが別の城からのリサイクル品であるということ。太鼓門櫓は佐和山城から、天秤櫓は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城から の移築です。これは彦根城が、大阪の豊臣氏や西国大名に備える拠点として、幕府の支援を得て築城されたことと関係しています。徳川の命により七カ国12大 名が協力し、コスト削減と工期短縮に努めた結果、このような形式がとられたようで、国宝に指定されている天守もまた、大津城から移築したものであるとされ ています。

ところで、彦根城といえば最近話題になったのが、築城400年の記念イベントのイメージキャラクター「ひこにゃん」。みなさんはなぜ彦根城のキャラ クターが猫なのかご存じですか? これは、彦根藩二代目藩主の井伊直孝にまつわる、ある伝説が背景にあるそうです。ある日、直孝が江戸の豪徳寺で雨宿りを していた際に、手招きをする白猫を見ました。近寄ってみると、さきほどまで雨宿りしていた大木に落雷があり、直孝はあやうく難を逃れることができたので す。それ以来、井伊家は豪徳寺を菩提寺とし、ここから幸福を呼ぶまねき猫の伝説が生まれとか。

優美な天守を誇る、南海の名城・高知城(高知県)

日本「高知城 2種連刷」
発行日:2001年3月1日

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高知城は、初代土佐藩主・山内一豊が築いた南海の名城。その特徴は、すらっと優美にそびえ立つ四重5階の望楼式天守閣にあります。この天守は享保 12年(1727年)に一度焼失しましたが、宝暦3年(1753年)に以前の姿を忠実に再建したものだといわれています。ちなみに、江戸時代以前に建築さ れたものが、現代までそのまま存在しているのは珍しく、全国にわずか12城しか残っていません。また、天守閣と追手門がそろって残っていることや、全国で 唯一本丸内の建造物がほぼ完全な形で残っていることなどから、極めて貴重な遺構と言えます。

ところで、この高知城を築いた山内一豊は、織田・豊臣・徳川の3人の権力者に仕え、戦国時代を巧みに乗り切り、ついには一国の藩主にまで上り詰めた 人物。しかしながら、出世は本人の実力というより、妻・千代の内助の功の成果であったと評価されている、ちょっとかわいそうなお殿様なんです。城内には、 一豊だけでなく千代の銅像も建てられていますので、高知城に遊びに行った際には、ぜひこちらもご覧ください。

天下の堅城として名高い熊本城(熊本県)

日本「熊本城 5種連刷」
発行日:2007年8月1日

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昨年2007年に築城400年を迎えた熊本城は、日本三名城のひとつ。右の切手にも描かれている壮大堅固な石垣が有名で、天下の堅城としても知られています。

現在の熊本城を築城したのは、築城の名人と呼ばれた加藤清正。この清正が、当時最先端の築城技術を用いて造ったといわれているのが、「武者返し」と 呼ばれる独特の造りの石垣です。裾の方は緩やかな傾斜になっていて、一見簡単に登れそうに見えるのですが、上に行くほど傾斜が急になり決して越えることは できません。その堅城ぶりは、明治十年(1877)の西南戦争で、薩摩軍の攻撃を撃退したことでも証明されました。その時、薩摩軍を率いていた西郷隆盛は 「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と言い放ったとか。

日本「熊本城」
発行日:1989年9月29日

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智勇兼備の名将として、人気の高い加藤清正。当然お膝元の熊本でも、今なお清正を慕う人は多いようで、今でも熊本では善政の事跡はすべて「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」になるのだそうです。

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