趣味・教養

2007.12.20
『ハリウッドの伝説シリーズ』切手の2回目は男優編。今回ご紹介する3人は、女性のみならず男性からも熱烈な支持を受け、今なお憧れの対象となって いるスターたちです。昨今の“隣のお兄さん”的な気さくな雰囲気のハリウッド俳優と違って、クールでダンディなその姿。今、見てもかっこいいと思いません か?

ジェームズ・ディーンが24歳の若さで急逝するまでに主演した映画は、わずか3本。死後50年以上が経過した今もな お、多くの人々を惹きつける天性の俳優は、インディアナ州のマリオンに生まれました。彼に深い愛情を注ぎ、演技の才能も見抜いていた母親は、彼が9歳のと きにがんで他界。残された父親は子どもに関心を示さず、彼は叔母と叔父のもとで暮らすことになります。この不遇な少年時代に味わった癒えない孤独感と満た されない気持ちが原動力となり、彼はますます演じることに熱中するようになります。
高校卒業後は父親の住むカリフォルニアに移り、競争率100倍の超難関「アクターズ・スタジオ」の入学試験を史上最年少で突破。数多くの名優が学ん だこの学校でも、ディーンの才能は抜きん出ていました。舞台に立つ彼を見た脚本家、ポール・オズボーンは、自身の新作映画の主演としてディーンを抜擢。無 名だった彼は、名作『エデンの東』(1955)で父親の愛情を渇望する若者を演じ、一躍スターに上りつめます。
続いて主演した青春映画『理由なき反抗』(1955)によって、彼はいらだちや怒り、不安を抱えた若者たちの象徴となりました。翌年には、大作 『ジャイアンツ』(1956)にエリザベス・テーラーとともに出演。しかしこの映画の公開を待たずして、スピード狂だったディーンは愛車運転中に事故に遭 い、帰らぬ人となります。ディーンの最後の作品となった『ジャイアンツ』は高い評価を受け、大ヒット。早すぎる死の後、彼は『エデンの東』『ジャイアン ツ』の2作品で、2年連続アカデミー賞にノミネートされました。

ダンディ、ハードボイルドな役者といえばハンフリー・ボガート。トレンチコートの襟を立てて煙草をふかし、波止場にたたずむ……。そんなダンディズムのお決まりパターンをつくったのは、“ボギー”の愛称で親しまれた彼といっても過言ではないでしょう。
ボガートは、父親が外科医という裕福な家庭に生まれました。自身も医学予備校に通いますが、学校になじめず中退。海軍に入隊し、第一次世界大戦に参 戦します。戦後は友人の劇団でステージ・マネージャーとして働いていましたが、やがて役者を志すように。長い下積み生活ののち、ワーナー・ブラザーズとの 専属契約にこぎ付けますが、ニヒルな雰囲気を持つボガートへのオファーは、ギャングや犯罪者などの悪役ばかり。5年間になんと28本もの映画で悪役を演じ ました。
彼の魅力が開花したのは、傑作探偵小説を映画化した『マルタの鷹』(1941)。クールでありながら正義感を持つ複雑なヒーロー像を見事に演じた彼は、ハードボイルドの代名詞として、その人気を不動のものにします。
翌年にはメロドラマの金字塔『カサブランカ』(1942)に出演。「君の瞳に乾杯」などの台詞で、熱狂的に観客に受け入れられました。私生活では、 『脱出』(1944)で共演した25歳年下のローレン・バコールと結婚。ボガートにとっては4度目の結婚でしたが、ふたりは生涯に渡って人生を共にしま す。
クールなヒーローを演じることの多かった彼が、意外にもコメディの才を発揮した作品が『アフリカの女王』(1951)。キャサリン・ヘプバーンとの息の合った演技が高く評価され、ボガートはアカデミー主演男優賞を受賞し全盛期を迎えます。
しかし実生活でも映画さながらにヘビースモーカー、また酒豪として知られたボガートは、肺がんによって57年の短い生涯に幕を閉じます。その存在に 影響を受けた映画人は数多く、ウディ・アレンは『ボギー!俺も男だ』(1973)で、ボガートに憧れる自分自身を投影。再び世間にボギーブームを巻き起こ しました。

“英国一美しい男性”とも言われる甘いマスクとエレガントな雰囲気で、黄金期のハリウッドを支えたケーリー・グラント。抜群の安定感で数々のヒット作を生んだ彼は“古き良きハリウッド”の象徴といえる名優です。
イギリスの貧しい家庭に生まれた彼は、役者だった祖父の影響で俳優を志します。1932年には、ゲーリー・クーパーの後継者として売り出され、映画 デビュー。その年、早くも7本の映画に出演し、その後、ハリウッドで最も信頼できる男優として活躍します。翌年には『街の灯』(1931)のヒロイン、 ヴァージニア・チェリルと結婚しましたが、2年後に離婚。その後も数々の女優と浮名を流し、生涯で4度の離婚を経験しています。
1936年にパラマウントとの契約が終了すると、『赤ちゃん教育』(1938)、『フィラデルフィア物語』(1940)、『ヒズ・ガール・フライ デー』(1940)など、コメディからメロドラマ、アドベンチャー大作まで様々な作品に出演し、安定した人気を得ます。正統派二枚目役者でありながらコメ ディもこなす幅の広さと、どんな女優とも絶妙な掛け合いを見せる懐の深さに、観客たちは魅了されます。
1940年以降にはミステリーの巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督とも何度かコンビを組み、心理スリラーという新境地を開拓。この切手にもシーンが採用されている『北北西に進路を取れ』(59)などの名作を誕生させました。
1970年には一度もオスカーを受賞していなかったグラントに、アカデミー名誉賞が贈られました。20世紀を代表する名優ローレンス・オリヴィエに 「最も素晴らしい俳優」と言わしめたミスターハリウッドは、1986年、心臓発作で他界。ちなみに『007』の著者イアン・フレミングは、ケーリー・グラントをモデルにジェームズ・ボンドのキャラクターをつくったと言われています。
アメリカの映画やドラマなどに登場する電話番号は、すべて「555」で始まっています。これは劇中で実際にある番号を 使用してしまうという可能性を避けるため、電話会社が555-0100から555-0199までを映画・テレビ用に設定しているため。しかしジム・キャ リー主演の『ブルース・オールマイティ』(03)では、555ではない番号を画面表示してしまったため、アメリカ中の同じ番号を持つ家庭に電話が殺到して 大騒ぎに。被害者のなかには「映画会社を訴える」と息巻いた人もいれば、「映画に自宅の番号が登場してワクワクした」と語った人もいたとか。

アメリカ[ハリウッドの伝説シリーズ(第6次) / エドワード・G・ロビンソン20面シート]
2000年10月24日発行