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趣味・教養

切手~小さな四角の世界~

2007.11.29

ハリウッドの伝説的スターの切手・女優編

今もなお多くの人々を魅了しつづける、ハリウッド黄金期のスターたち。そんな銀幕のスターをモチーフにした『ハリウッドの伝説シリーズ』の切手を、2回に分けてご紹介します。 このシリーズは、1995年より、ハリウッドにゆかりの深い人物を毎年ひとり選び、アメリカ郵政公社から発行されているもの。
第1回目は、誰もが知っている有名女優3人の切手をピックアップします。

アメリカのセックス・シンボル「マリリン・モンロー」
(Marilyn Monroe,1926/6/1-1962/8/5)

本名はノーマ・ジーン・モーテンセン。後にマリリン・モンローと名乗ったノーマは、私生児として生まれ、養育施設に預 けられたのちに里親の家をたらい回しにされるなど、恵まれない子供時代を送りました。16歳の時に高校時代の先輩と結婚。航空機工場に働きに出ますが、カ メラマンにモデルとしてスカウトされたことから、ブルネットの髪をブロンドに染めて売れっ子ピンナップ・ガールとして活躍しはじめます。

その後、女優として成功する夢を追い、離婚。ハリウッドに進出するもなかなか芽が出ず、ヌードモデルなどさまざまな職に就き生活費を稼いだと言われ ています。しかし、有力なエージェントと関係をもったのをきっかけに、いくつかの大作に出演するチャンスを手に入れ、徐々に知名度がアップ。53年に主演 した『ナイアガラ』では、男たちを惑わせる妖艶な悪女役を演じ、セクシーなモンロー・ウォークと共に大きな注目を集め、新たなセックス・シンボルとしての 地位を獲得したのです。

しかし、ブロンドのグラマー女優というレッテルは、その後彼女を苦しめ続けることになります。演技派女優としての成功を望み、演技の勉強をするなど 努力をしたモンローですが、結局最後まで「頭の悪いセクシー女優」のイメージを拭い去ることはできませんでした。やがて、精神的な不安からドラッグやアル コールの摂取量が増加。さらに、56年に結婚した作家のアーサー・ミラーとの間も、子どもを流産するなどの悲劇に見舞われる波乱続き。ますます精神のバラ ンスを崩していきます。61年、ついにふたりは離婚。その一年後、マリリンはロサンジェルスの自宅で、遺体となって発見されるのです。享年36歳でした。 死因は、睡眠薬の多量摂取と発表されていますが、自殺説、事故説だけでなく、愛人関係だったJ.F.ケネディやマフィア、政府などによる陰謀説までさまざ まな憶測が飛び交っています。この謎に満ちた早過ぎる死により、女優マリリン・モンローは神格化され、伝説となったのです。

アメリカ[ハリウッドの伝説シリーズ(1次) / M・モンロー20面シート]
1995年6月1日発行

永遠の妖精として輝き続ける「オードリー・ヘップバーン」
(Audrey Hepburn,1929/5/4-1993/1/20)

本名はオードリー・キャスリーン・ヴァン・へームストラ・ヘップバーン・ラストン。英国人の父とオランダ貴族の娘であ る母との間にベルギーで誕生。両親は彼女が5歳の時に別居し、そのまま離婚しました。母とオランダに移ったオードリーは、叔父と共にここで第2次世界大戦 中を過ごします。しかし、その叔父もドイツ軍に殺害され、より一層生活は苦しいものとなったようです。

終戦後、バレリーナを夢見てロンドンのバレエスクールに入学するものの、170cmの背の高さがネックになり、バレエを断念。その後、女優を目指し 舞台へ出演していたオードリーの運命を変えたのは、女性作家のコレットとの出会いでした。自身の作品『ジジ』の舞台化にあたり出演者を探していたコレット は、オードリーをひと目見て気に入り主役に抜擢したのです。さらに、『ローマの休日』のヒロイン役を探していたウィリアム・ワイラー監督の目に留まり、初 のハリウッド映画で主演デビュー。日本でも大ヒットしたこの作品でアン王女を愛らしく優雅に演じたオードリーは、早くもデビュー作でアカデミー主演女優賞 を獲得しました。

その後、『麗しのサブリナ』(54)でのシンデレラ・ガールから、『暗くなるまで待って』(67)での盲目の人妻といった演技力が要求されるシリア スな役まで幅広くこなし、名実ともにスターとなったオードリー。しかし彼女が望んだのは、きらびやかな生活より愛情に溢れた静かな生活でした。ところが私 生活では2度の結婚をするも、いずれも失敗。うつ病に苦しんだこともあったようです。また、少女時代の辛い戦争体験から、晩年はユニセフの親善大使として 恵まれない人々のための活動に力を入れました。93年に結腸ガンで亡くなった後は、最後のパートナー、ロバート・ウォルダーズが彼女の意志を継ぎ、「オー ドリー・ヘップバーン児童基金」を設立して援助活動を続けています。

アメリカ[ハリウッドの伝説シリーズ(9次) / A・ヘップバーン20面シート]
2003年6月11日発行

不世出の天才エンターテイナー「ジュディ・ガーランド」
(Judy Garland,1922/6/10-1969/6/22)

本名はフランシス・エセル・ガム。両親がボードヴィリアンだったため、ジュディは3歳の時に初舞台を踏んだと言われて います。彼女を一躍スターの座に押し上げたのが、16歳の時に出演した映画『オズの魔法使い』のドロシー役。この役は初め、当時の人気子役シャーリー・テ ンプルが演じる予定でしたが、映画会社間の契約により取り止めに。急遽、ジュディが代役を務めることになりました。結果的に、彼女の圧倒的な歌唱力と演技 力、そして愛らしい容姿により作品は大ヒット。ジュディは、この作品でアカデミー特別賞を受賞しました。

アイドル的人気を手に入れたジュディですが、過密スケジュールをこなすためとダイエットのために薬物を乱用。さらにスターとしてのプレッシャーか ら、精神的に不安定になり精神科に通う日々が続きます。そんななかで出演した『若草の頃』(44)は、その年いちばんの興行成績を記録しましたが、2度目 となる結婚生活も破綻しはじめ、薬物依存はさらにひどくなっていくばかり。

54年には、渾身のカムバック作『スタア誕生』で一世一代の名演を残しますが、私生活は荒れる一方で、酒に溺れ、自殺癖が囁かれたのもこの頃でし た。その後、いくつかシリアスな作品に出演し、新境地を見い出したように見えましたが、転落は止められず。睡眠薬の過剰摂取によって47年の人生を閉じま した。計5回の結婚のうち、2度目の夫ヴィンセント・ミネリとの子ライザ・ミネリと、3度目の夫シド・ラフトとの子ローナ・ラフトは、彼女の才能を受け継 ぎ女優として活躍しています。

アメリカ[ハリウッドの伝説シリーズ(12次) / J・ガーランド20面シート]
2006年6月10日発行

切手トリビア~ハリウッドスター・女優編~“モンロー・ウォーク”は努力の賜物!?

マリリン・モンローといえば、お尻を揺らす独特のセクシーな歩き方が有名です。1953年公開の代表作『ナイアガラ』あたりから話題になった、この “モンロー・ウォーク”。実は、しっかりとした計算があったようです。彼女はこの歩き方のために片方の靴のヒールを4分の1インチ短くし、わざとバランス を崩していたのです。彼女のセクシーさの影には、こんなしたたかな計算があったのですね。

モンゴル[マリリン・モンロー4種シート]
2007年1月2日発行

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