趣味・教養

2007.11.08
1896年のアテネ大会を皮切りに、1世紀以上の歴史と伝統を築いてきたスポーツの祭典「オリンピック」。研ぎ澄まされた心技体によって繰り広げられる数々のドラマは、世界中の人々に熱い感動と勇気を与えてきました。そこで今回は、これまで日本で開催された東京・札幌・長野の3回のオリンピックを記念して発行された世界各国の切手をピックアップ。思い出のエピソードと共にご紹介します。
ブルガリア[第18回東京五輪S/S]
1964年10月発行
日本初であると同時にアジア初の開催となったのが、1964年の東京オリンピック。94カ国から5,133人が参加し、数々のヒーロー・ヒロインが誕生しました。特に“裸足の王者”の異名をとったマラソンのアベベ選手(エチオピア)はご記憶の方も多いでしょう。
日本人選手の活躍も華々しいものでした。柔道の中谷雄英選手や岡野功選手、ウエイトリフティングの三宅義信選手、体操の遠藤幸雄選手など、合計16個の金メダルを獲得。なかでも“東洋の魔女”と称された女子バレーボールチームの堂々たるプレーは、日本中の国民をテレビの前に釘付けにしました。ちなみにソ連との優勝決定戦は視聴率66.8%を記録(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。スポーツ中継では歴代最高の数字です。
東ドイツ[第18回東京五輪]
1964年7月発行
陸上競技で日本唯一のメダルを獲得したマラソンの円谷幸吉選手も、日本中に興奮と感動をもたらしたひとり。惜しくもその後、自ら命を絶ってしまいますが、現在のマラソン王国日本の幕開けを予感させる見事な走りは、今も人々の記憶の中に生き続けています。
東京オリンピックは第二次世界大戦に敗れた日本が荒廃から立ち直り、国際社会への復帰を遂げたことの象徴でもありました。日本が世界に誇る「新幹線」も、オリンピック開催に向けて着工されたプロジェクトのひとつです。開会直前の10月1日、東海道新幹線が満を持して開業。東京―新大阪間の所要時間は最短4時間と飛躍的に縮まりました。
1972年、日本およびアジアで初めての冬季オリンピックが札幌で開催され、「Sapporo」の名は一躍世界に広まります。地元の熱い声援に後押しされ、70m級ジャンプでは日本人選手が大奮闘。笠谷幸生、金野昭次、青地清二の3選手が金・銀・銅メダルを独占するという快挙を達成しました。今やすっかりおなじみとなった“日の丸飛行隊”の呼び名も、このときのジャンプ陣の活躍を表して生まれたものです。
1998年に開催された長野オリンピックでは、開会式の総合演出を劇団四季の浅利慶太氏が担当。善光寺の鐘の音や諏訪に伝わる御柱、力士の土俵入りなど、郷土色を生かした和の演出が好評を博しました。
会期中、日本中を沸かせたのは、なんといっても原田雅彦、斎藤浩哉、岡部孝信、船木和喜の4選手によるスキージャンプ団体競技でしょう。前大会のリレハンメルオリンピックでは、金メダル目前で原田雅彦選手がまさかの失敗。この大会でも1本目のジャンプが不振に終わり、誰もが「もしやまた…」と不安な思いを募らせ始めたときでした。2本目は、なんとバッケンレコードの137m! 見事4年越しの雪辱を晴らし、悲願の金メダルを手にしたのです。

戦前の日本では、郵便配達員は“走りのプロ”とみなされ、陸上競技大会への参加が禁じられていました。このほか“セミプロ”として扱われたのが、牛乳配達員や新聞配達員、魚屋など。一度でもこれらの職業の経験があれば出場禁止だったというから厳しいですね。
ところがなかには職業を偽って参加した人もいたようで、大正9年の陸上競技大会ではマラソンの1~5位までが禁止されていた職業の選手だったため、全員失格になったという珍記録も。大正13年以降は出場が認められ、80年余り経った今ではプロもオリンピックに参加できることはみなさんご存じのとおりです。

日本[郵便創業100年]
1971年発行